下町っ子の上の空

好奇心が人一倍強く、見栄っ張りで、お人好しの下町っ子のBlogです。 ウンチクネタがくどいのがたまに傷ですが、お気軽にお立ち寄り下さい。

下町

待乳山聖天

今日は「Splashな浅草其の貮」です。
年末年始休暇中です。
今日の話は前話の続きです。
猿若町を後にした私達は次の目的地「待乳山聖天」様に歩を進めました。

# 可愛らしいにゃんこ
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浅草寺境内で人だかりがしていました。
奥様と近づいてみましたらなななんとポータブルにゃんこです。
「かわいらしいニャンコ」とかけて、「赤ちゃんにブラック珈琲」と解く、その心は「嫌(癒)される」でしょう・・・

#待乳山聖天
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猿若町を後にした私達が出向いた先は「待乳山聖天(しょうでん)様」です。
待乳山聖天は「聖観音宗(しょうかんのんしゅう)」です。
浅草寺一山のお寺のひとつで、本龍院というのが正式な名称です。
ここには何回来たでしょうか、数えきれません

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待乳山の高さは9.8メートル、東京で一番低い山です。
低地の中にあるので、周りがよく見えて眺望がすばらしいところです。
江戸時代はここから国府台(千葉県)まで眺望できたそうですよ。

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ここでの約束は大根の供物です。
大根は人間の怒りとか貪(むさぼ)りを置換したiconなのだそうなのです。
その為に煩悩を無くして良い形に直してもらう為に大根を供えます。
聖天様はその大根に置きかえられた怒りとか貪(むさぼ)りを取り除き、物事を成熟しやすくしてくれるそうです。
大変ありがたい事です・・・

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聖天様のiconです。
大きく括れば大根は「家安全」、巾着は「商売繁盛」を現わしています。
なんとも万能な仏様の僕(しもべ)なのでせう・・・

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ご存じスロープカーです。
なな何と料金はfreeです。
どうやら参拝客よりも本堂に運ぶ物資運搬用が主目的で作ったような気がします。
お坊さんの高齢化の為でしょうか・・・

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庭園です。
園内には境内守護、家内安全のお地蔵様がおまつりされています。

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観喜地蔵尊
子育てのお地蔵様として信仰されています。

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池波正太郎先生の生誕の地です。
実は私今日の今日まで池波正太郎先生は浅草永住町(元浅草2丁目)で生まれたものだとおもっていました。
生れたのは聖天町だったのですね、知りませんでした。
浅草永住町は祖父の家だったのです。
両親が離婚し母が池波先生を引取ったために、祖父の家に住んでいたのでした。

それでは(^_-)

下町のお店

まだ本調子ではないので、グルメネタはまだ出て来ません。
今日は下町から消滅したお店を思い出してみました。

・乾物屋(椎茸、かんぴょうなど乾燥物を扱う)
・漬物屋(佃煮、豆、ラッキョウ等を扱う)
・蒟蒻屋
・蒲鉾屋(ハンペン、竹輪等を扱う)
・弓屋(弓を射るのみ、地元の天祖神社前に有った)
・ピンポン屋(卓球場、これも地元の天祖神社前に有った)
・唐辛子屋
・焼き芋屋
・大学芋屋
・煎餅屋(地元では浮世煎餅というお店があった)
・バッタ屋(地元じゃコヤマかな)
・甘粕屋(甘酒屋のこと、今じゃ神田明神下の二軒くらいかな)
・おかず屋(今は逆にオリジン等の業態が増えている)
・汁粉屋(今は甘辛屋に進化、でも下町でも少ない、地元のクワタくらいかな)
・あさり屋(行商では「あっさり(あさり)死んじめ(蜆)」の掛声で有名です。私の家のソバに有った)
・草履屋
・下駄屋(たしか草履屋と下駄屋と靴屋はその後一緒になった)
・傘屋
・綿屋(今は布団屋さん)
・映画館(実家のそばに一軒あった)
・煙草屋
・釣竿屋
・焼きソバ屋(実家のそばに一軒あった→メニューに本当に何も入ってない焼きソバがあった)
・屑鉄屋(赤物=銅線を持っていくと高く買ってくれた)
・質屋(これは今もあるか)
・駄菓子屋(これも今もあるけど少ない)
・果物屋(これも今もあるけど少ない)
・豆腐屋(これも今ももあるけど少ない)
・時計屋(これも今ももあるけど少ない)
・卵屋
・文房具屋
・古着屋
・米屋
・牛乳屋
・鍵屋

こんな感じですかね、しかし昔は専門店が多かったのですね(感動)

そして最後は立ち飲み屋です。これは最近増えているらしいですが(笑)


ここは以前このBlog にでた月島の立ち飲み屋さん。
たしか「OH-BINNA(漢字分からず)」かな、いつも日本語の上手なオーストラリア人のポールさんがキスグレ(酔っ払いの事)ています。

それでは(^_-)

阿部定事件

【フィレンツェ29日共同】ハートマークに相合い傘−。イタリア・フィレンツェの世界遺産登録地区にある「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」の壁には、これまで判明した京都産業大や岐阜市立女子短大の学生らによるもの以外にも多数の日本語の落書きが書かれていた。
 観光客に混じり28日、大聖堂に入ると、クーポラ(円屋根)に上る階段の壁に多数の落書きが見つかった。特にひどいのは階段を上りきったクーポラの展望台。多くの観光客が市内の展望を楽しむ場所だ。
 ほとんどはイタリア語、英語、スペイン語など欧米の言葉で書かれ、日本語は全体の1割程度だったが、ハートマークの中に多くの女性の名前が書かれ、その下に「本当の愛をさがしにいくよ」との落書きも。都内の私立大生を名乗るものもあった。 (北海道新聞より転載)
悪戯書き
 

でもここは悪戯書きのメッカでさらにここにはイタリア人のマジック売屋が多数いて
「この大聖堂の最上階の展望台まで上って、そこの柱や壁に自分たち2人の名前を書いて来ると、永遠の幸せが約束されるんですよ」といって市価の数倍もするマジックを日本語?で売りつけているらしい、これでも大騒ぎする必要が有るのかしらん(笑)
確かにいけないことはいけないのでしょうが

やはり悪戯書きといえば、昭和十一年五月におきた「阿部定事件」でしょう。殺された中野区新井の料理店「吉田屋」主人石田吉蔵さん(42歳)の左の太股に「吉、定、二人切り」と血で書かれていたそうです(冷静に考えるとこれって悪戯書きでは無い様な気もします)。
さらに男性の大切なものが鋭利な刃物で根本よりスッポリ切り取られていたので、さすがの捜査官も驚いたそうです。
その後お定さん(32歳)は、事件三日後芝高輪南町の品川旅館で自ら縊死する一歩手前で逮捕さました。しかしお定さんは殺人を犯しましたが悪人ではなく、六年の刑を受けて出獄後社会に愛され昭和四十四年位まで料理店等に従業し安らかに暮らしたそうです。

昭和十一年の東京の市電の車掌は女性でしたので、女車掌が切符を切りに来て、大声上げて切符切らしてくださいと言うたびに乗客はドット笑ったそうです。
それほど、猟奇的に感じられる大事件だったそうです。

それでは(^_-)

松屋 麻婆カレー

今日も22:40頃仕事が終わり、近くの「どさん娘」で遅い夕食。
したらしょっちゅう行く居酒屋の姉さんとたまに行く立ち飲み屋の二代目女将とこのお店で偶然出くわす。この時間(23:00頃)でこの面子に素面で話すのは初めてで少し照れくさい。といいながらも立ち飲み屋の二代目女将は火事場の金太郎みたいな顔をしていてかなり一丁上がりという感じです。そりゃそうでしょラーメン屋に来てラーメン頼まず飲んでいるだけなんだからね、チカちゃん。
なんかほとんど行動パターンが土地っ子ですね(笑)

そして今日の驚きは「江戸っ子は熱い湯が好き」と今日の今日まで信じていたのですが、あれは客の回転を良くするための江戸時代の銭湯経営者の戦術だそうで、それにまんまと江戸っ子が自らの見栄でハマったとうのが真相のようです。

さらに驚いたのはあの浅田美代子が英語がペラペラだということ。ナンッタって女学館高校一年生で中退しており、さらに彼女は本当に地頭が悪いのでこれだけはありえないと思っていたのに(笑)
中退については正しくは一世を風靡したTVドラマ「時間ですよ」に出演するというのが世間体。当時の女学館は芸能活動を禁止しており、TV出演を続ける為に仕方なく止めたということだが、その実は期末試験が近づいていたのに全く勉強していなく面倒くさくなって止めたらしい(納得)

今日獲物は松屋新作「麻婆カレー」@490です。


松屋のカレーは好きなので期待したのですが美味しくないですね。
麻婆豆腐が不味いと思います。特に豆板醤が美味しくありません。粉山椒もあまりインパクトがありませんでした。極めつけはニンニクの芽、これさえなければまだ許せたのですがこの苦味がすべてをぶち壊しました。なんでこんな不味い芽を入れたのでしょう松屋さん(怒)

それでは(^_-)

谷中銀座

今日は今戸→山谷→夕焼けだんだん(谷中銀座)→高田当りをブラブラしていました。よって前振り、グルメネタありませんがお気楽にパチリ主体でご覧下さい。

今戸神社の猫まず始めは新選組の沖田総司が死ぬ少し前に住んでいた今戸神社境内。猫が可愛いのでパチリしました。
 


沖田総司終焉の地総司君はここではなくなっていません(笑)なんでこんな碑を建てるのかな
 

沖田総司終焉の地総司君の終焉の地は新宿御苑の近くの大京町と言われています。ちなみに総司君の命日は1868年閏5月30日ですのでもうすぐですね。
 


山谷の看板今でも危ない山谷です。本当に直な言葉を使用した看板ですね(笑)
 


山谷の鮨屋私が以前襲われた 山谷 の鮨屋の通りです。写真を撮っていたら交番のオマワリさんからここら辺の人達の写真を取ると殴られたりするので危ないですよと注意されました(そんな事くらいしってらィ)
 


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 今日はお休みですが多分ここが山谷で有名な件(くだん)のお鮨屋さんなのでしょうか 。しかし周りの雰囲気がすごいですね(笑)


谷中銀座ご存じ谷根千で唯一の商店街「谷中銀座」です。
 


肉のサトー今日お姉さんに吉祥寺の肉のサトウとは何か関係あるのですかと聞いたら、結構マジに「字が違うでしょ」と怒られました。説明によると吉祥寺は「肉のサトウ」、谷中は「肉のサトー」と微妙に違うのです。でもこの位のことで怒ることないのにネ、忙しくて疲れたのかな
 

教王寺弾痕
 上野戦争ではここら当りまで激戦区でした。そしてその名残の弾の痕が門に残っている教王寺さんです。

教王寺弾痕の拡大写真です。彰義隊はここからさらに千住まで追いつめられそこで壊滅したのです。
 


夕焼けダンダン谷根千一押しの夕焼けだんだんです。ここから見える夕焼け最高です。
 


シャレースイスミニスイスの山小屋風カフェシャレースイスミニです。お客さんの過半は外国の方ですヨ。
 


富士見坂富士見坂です。都内各地に残る「富士見」を冠する地名の中で、現在でも富士山を望むことができる坂です。
 


藤の花藤の花がきれいなのでパチリしました。もう藤が咲いているんですね、季節感なく暮らしている証左です。
 


高田の切り落とし都心から帰宅する時利用する高田の切り落としです。かなり急な坂道です。スリル満点(笑)
 


それでは(^_-)

怖かった話

今日は私の「怖かった話」です。
色々と身に起こった恐ろしい話は多々あります。特に怪我、病気等で死にそうになった事は、はっきりと指がおれるだけでも5回もあります。それは後日においといて今日は「怖かった話」です。
今日はとりあえず思いつく二話のみです。
まず一つは「鳩さん襲撃事件」です。私は鳥が嫌いです。子供の時父親の実家に泊まりに行ったとき、朝食で食べる卵を鶏小屋にとりに行かされました。卵をとる時横着して棒で鶏君を蹴散らかしました。
すると何と鶏君3羽ほどが飛びあがり(飛ぶとは思わなかった)私の顔を掻きむしったのです。爾来鳥に対して恐怖心を抱くようになりました。
それから幾星霜結婚して下町に住んでいた頃、私は父が建てた5階建ビルの5階に住んでいました。確かぽかぽかした土曜日に一人で、窓を開けさわやかな空気を取り入れてゴロゴロしていました。すると私のそばで「ポッポポッポ」と聞き覚えのある声がします。
ガバット反射的に身を起こし、声のするほうに視線を合わせると、そこには鳩君が一羽招かざる客として、窓から入室していたのです。
後はパニックです。グッワーと絶叫しながら這いつくばって(腰が抜けた)隣室に逃げ込みました。そして身近にあるありとあらゆるものを鳩君に投げつけました。すると今度は鳩君がパニックです。部屋中をバタバタと飛び回ります。すると私はまさかこっちの部屋にくるのではという恐怖心が起こり、慌てて扉を閉めその隙間から鳩君の動静を見ていいます。
パニック状態になった鳩君はなかなか退去してくれません。そして5分間位でしょうかやっと入ってきた窓を見つけ出し退去してくれたのです。そして私は素早く鳩君がいた部屋に戻り窓を閉め、サッシのクレセントをギッチリとかけたのです。
しばらくして落ち着いて部屋の中を見回すと、鳩君の沢山のお土産があったのです、多分恐怖で脱糞したのでしょう。
結果畳の拭き掃除をするハメとなりました。本当に糞イマイマシイ話です。

二つ目は「屋上事件」です
長男がハイハイができるようになった頃の五月晴れの土曜日の朝の話です。当時の我家は洗濯物を屋上に干していました。私も奥様が屋上で洗濯ものを干している間、長男をハイハイさせながら遊んでいました。しばらくして奥様が敷布を干し始めたので視界が限られるようになりました。すこし目を離していた隙に長男の姿が見えません。でもバブバブという声がするので声のする方に視線を移します。
すると私の目に飛び込んできた光景は、私の心臓を止めるほどのものでした。
な何とこともあろうか長男は屋上にある手摺の下桟を潜り抜け、手摺とパラペットの間の場所にいて無邪気にハイハイをしています。
万が一パラペットによじ登りそこから落ちたら、いくら私の息子といえどもお陀仏です
すぐに引きずり出そうとしたのですが、動作がコマ落ちのストップモーションのように緩慢に感じられます。(実際はかなりの速さだったと思います)
すぐに脚を掴みその狭間から長男を引きずり出し、胸にしかっりと抱きしめました。突然の荒々しい衝撃を受けた長男は、焼きゴテを押しつけられたかのように泣きはじめました。そして長男を抱きしめながらこの事態に気がついていない奥様に、なんでしっかりと見てないんだよと八つ当たりをしたものの、胸の鼓動は早鐘を打ったままです。
いまでも数秒間のこの光景を思い出すたびに戦慄がはしります。
本当に本当に怖かったのでした。
そんな長男も来年は社会人(現在就活中)?です。年を取る訳ですね(笑)

今日は次男の入学祝で奥様の実家へ出向きました。
グルメネタもありませんが、奥様の義妹の家庭料理をパチリしましたのでご覧下さい。


鯉のぼり遊の郷の鯉のぼりです。もうすぐGWですね


鯉のぼり同じく遊の郷の鯉のぼりです。こういのを見ると「江戸っ子は五月の鯉の吹き流し、口先ばかりではらわたは無し」という言葉が思いだされるのは私が下町っ子だからでしょうね。


遊の郷遊の郷でみた桜です。キレイなのでパチリしました。



天麩羅天麩羅盛り合わせです。メインはタラの芽の天麩羅です。タラのエグミがいけますね。日本人に生まれた良かったと思う瞬間です。海老もイケマシタ(満足)


茶碗蒸茶碗蒸しです。これは料理屋顔負けです。特にとれたてのキノコが茶碗蒸しにアクセントをつけています(美味しい)


唐揚唐揚です。揚げたてをガツガツいただきました。あっと言う間にこの皿の底が見えてしまいました。ジューシィーな鶏肉は本当に口福です。


ミートスパゲッティ締めのミートスパゲッティーです。お気取りなしなので、雪のようにパルメザンチーズをかけていただきました。義妹さんは料理も美味しいのすが、手が早いのです。これ以外の料理も有ったのですが、このボリュームをあっという間に作ります。ゆっくり美味しくは誰でもできるのでしょうが、手早く美味しくはこれは「腕」でしょう


それでは(^_-)

ソウルフード

今日はソウルフードの話です。
実は本当に珍しく家に早く帰り、これまた珍しいことにな何とTVを見ていました。
以下はそのTVからのネタですので画像はありませんm(__)m

まずは大阪のソウルフード。
たこ焼き屋「アホヤ」のぺチャ焼です。
これは鉄板の上に卵を落とし、その上チーズを振りまき、たこ焼きをのせその上を鉄板で押し付けて焼きます。これは食指が動きますね。しかしこれって「イカ焼」の応用ではないでしょうか。「アホヤ」の店長曰く、売れ残ったたこ焼きの再生方法として考えたそうです。

続いて釧路のソウルフード。
レストラン「泉屋」のスパカツです。
これはミートソーススパに揚げたての豚カツをのせた料理です。
ミートソースと豚カツは合うのでしょうね。
家でも作れますね(笑)

続いて長野県伊那市のソウルフード。
発祥の店「高理」のローメンです。
これは羊肉を使用した、スープ風焼ソバです。
羊肉からでる肉汁と甘辛スープが合わさると絶妙の味になるようです。
これは伊那市の学校給食にも採用されていますし、先週土曜日のアド街でも取り上げられていました。でも私は羊があまり好きではないのでこれは結構です。

最後は奄美大島のソウルフード。
「にんじんシリシリ」です。
これはにんじんのスライスをサラダ油で炒め、ツナとダシの素をいれ軽く炒め合わせ溶き卵を入れふんわりと火を通します。味を見て、塩、コショウで調えます。
これはトライしてみたくなりますネ。ビールに合いそうです。

私のソウルフードは亡き母親が作ってくれた、挽肉オムレツです。
これは玉ねぎをしんなりするまでいためた後、挽肉を入れていため、塩、コショウ、化学調味料で味を調えて、オムレツで包みます。オムレツの上には、ソースやケチャップをかけて食します。
シンプルの料理の割には、玉ねぎの甘さと挽肉のホロホロとした口当たりが合いとても好きでした。ソウルフードというよりもオフクロの味ですかね(笑)
皆さんのソウルフードは何ですか?

今日も忙しくお昼は社員食堂の中国料理「麻婆豆腐丼」@850です。
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これ作り置きですから、それほど味は期待できません。
食してみたらラー油の辛さだけで、風味もなにもなく平板な味でした。
私は、麻婆豆腐は西武線「富士見台」にある源烹輪 (げんぽうりん)が一番美味しいと思います。そういえば最近行っていません。週末に行こうかしら。

それでは(^_-)

オーオー早稲田

ここのところ忙しくてB級グルメもママなりません(悲)
今日はまたまた受験ネタです。
高校の友達の西北君(仮名)は二年生の時同級生でした。
三年の時私は理科系、西北君は文科系で少し疎遠になりましたが、浪人生の時私が文科系に転向したことで急速にその付き合いが緊密になりました。
西北君は早稲田大学が大好きで、現役の時文科系の全ての学部を受け、結果全てオムスビコロリンとなりました。
浪人生になって捲土重来早稲田にリベンジすべく猛勉強し、予備校の合否判定もCランク(本当はCはやや危ない)で早稲田も掌中に納めんとするばかりでした。
いち早くセーフティネットの法政は受かり、後は早稲田の結果待ちでした。
政経、商学他運なく落ち最後の希望は文学部でした。

ところが最後に運を引き寄せたのです
文学部に晴れて合格です(ヤッタ)

お父さんが魚屋さんだったこともあり、その日西北家は近所の人を合格祝の宴に招待し鯛や平目の大判振舞で明方まで笑い声が絶えなかったと聞いています。

二日後西北君は早稲田大学に入学の手続きに行きます。
すると早稲田の事務局の事務員さんが次の様に言います
事務員さん「そのような受験番号は早稲田大学文学部合格者名簿にはありません」
西北君「何で少なくとも三回は確認しましたよ(怒)」
事務員さん「ないものはないのです。すみませんが受験票を見せてください」
西北君「これですが(心配)」
事務員さん「やはりそのような受験番号は早稲田大学文学部合格者名簿にはありません」
西北君「良く見てください(怒)」
事務員さん「絶句・・・
西北君「何かあったのですか(心配)」
事務員さん「極めて申しにくいことなのですが、この受験票去年の文学部のものでした(慰め)」
西北君「絶句

この後お父さんは寝込んでしまい、一週間程お店を開けませんでした。
可愛そうに近隣の方々は一週間、西北君のお父さんが仕入れる新鮮で良質な魚を求めることができませんでした。

でも西北君そのご法政大学で金時計(学力優秀)をもらい、爾後N自動車に入社しいまや末席役員になっているのですから、これこそまさに「人間万事塞翁が馬」ですね(笑)

ということで今日の獲物は社員食堂のベトナムカレーです。


福神漬けが多いいでしょ(笑)

ここのベトナムのお姉さん、私が現地顔しているせいかいつもおまけしてくれます。
味も美味しいし、福神漬けと辛味野菜入れ放題私は大好きです。

それでは(^_-)

業界用語

ウーン熱が38度も超えてほとんど寝たきりオジサンです。
やることもないのでテキヤさんの言葉を思いだしていました。
別に私はその業界の人ではなく、中学生の頃から「男はつらいよ」のフーテンの寅さんの映画を何度も何度もみており、また浅草で遊ぶここが多かったのでそのような人とも接した事もあり自然と言葉を覚えてしまったのです。
簡単に書き記します。

まず車編です
オートンこれはタクシーです。オウトモービルからきています
チャリンコチャリンチャリンで自転車です。もともとはスリという意味だったのですが(笑)


地名編
エンコ浅草(浅草公園からの転嫁)
ブヤ渋谷
ノガミ上野
ブクロ池袋
ジョージ吉祥寺
ジュク新宿
ここら辺はひっくり返しですから簡単ですし、今も使われていますよね。

バイオレンス編
ハイダシ恐喝・強請
カツアゲ恐喝、ハイダシとの違いは不明
マッポお巡りさん
素手ゴロナックルベアでの喧嘩
ヤゴロナイフのような刃物を使った喧嘩
ゴロメンツ喧嘩仁義
ヤクネタ無茶苦茶に喧嘩の強い人
番長終戦間際の新宿駅で番線毎に長がいた。即ち番長
盆暗要は盆に暗いこと。転じてチンピラ



ノンジャンル編
バシタ女房
シカト無視。花札の鹿が横を向いている為
キスグレ酔っ払い
イモを引くビビル事、芋を取る時腰が引ける為
ケンスル文字通り「見」見送ること
マブイキレイ、美しい
バイ商売。フーテンの寅さんは「啖呵バイ」
ゲソヲ脱ぐその家の食客になること。まさに寅さんのこと
チクル言いつけること


不味いです(笑)また熱がポッポとでてきましたのでこれで止めにします。
まだまだ思い出せるのですが、これにて一件落着といたします。


それでは(^_-)

AlWAYS 続・三丁目の夕日

昨日帰宅してから奥様との以前からのお約束で「AlWAYS 続・三丁目の夕日」を見に行きました。
これ泣けます。最初からトップギアで涙全開、それ以後涙、涙、涙です。
一作目も良かったのですが吉岡秀隆の貧乏作家茶川の過剰演技が少し鼻についていて山谷感があったのですが、今回は皆肩の力が抜けた演技でとても良かったです。
あれだけ泣かせてもらって146分で1人@1,000円(割引券を入手)はお安いです。

さてこのドラマの舞台となっている夕日町三丁目は何処だと思いますか。
キネマ旬報石上三登志氏によると、虎ノ門三丁目(愛宕神社の斜め後ろ当り)でかつては西久保巴町とのことです。
確かに映画の中の鈴木一平君の台詞の通り東京タワーまでは歩いていけますね。

次に石崎ヒロミ役(小雪)が乗った「こだま」ですが、ヒロミの乗車シーンは実物セットで、走行中の「こだま」は精密模型でそれと背景画像をSFXで合成したそうです。
すごい技術ですね

ついでにTVで昭和30年のニュース映画を見ていて驚いたことを数点記します。
1. 旭川の某所では橋がかかってなく、バスは川まで来ると渡し船でバスを向う岸に運んでいた。
2. 千歳→札幌(16号線?忘れた)は防衛分担金でできた国道。昭和30年の北海道では唯一この道だけが舗装されていた。
3. 貸しTVが流行する。保証金20,000円(現在でいえば少なく見積もっても500,00円以上)で月3,000円(現在でいえば少なく見積もっても75,00円以上)。
4. 30分50円(現在でいえば少なく見積もっても1,250円以上)の貸し洗濯機流行する→高くて買えなかったのかな。
5. プロレス流行。前橋市で小学生がプロレスごっこをしていて飛び蹴りで死亡。力道山がテレビで「皆さん、プロレスラーは体を鍛えているからできるのです。体の柔らかいうちはプロレスの真似はしないで下さい」小学生に真剣に訴えていた。
6. 修学旅行で国鉄事故多発。多くの死傷者がでる。これを受けて国鉄総裁が国鉄は危険です。乗る時は一人一人が注意をして乗ってくださいと訴えていた→実際修学旅行に行く生徒達は列車からの避難訓練を行っていた。夜行修学列車には生徒を不寝番として立てていた。
7. 北海道への開拓団ができた(昭和30年なのに)。その開拓団を結成する為に集団見合いが行われていた。
これらは正に「REAL 三丁目の夕日」でしょう

ということで今日は「箱根駅伝復路」見っぱなしで外出できず、B級グルメネタはありません。
タマには良いでしょう(^_^)v
こちらでも涙腺ユルユル、特に九区の大東文化大学の住田君の頑張りには涙が止まりませんでした。

     駒沢大学優勝おめでとう



それでは(^_-)

ヘタレな一日(ーー;)

今日はヘタレな一日でした。
八王子の山奥のお取引様に直行するので、余裕を持って起床しました。
それなのに・・・
まず朝命の次に大事な手帳を忘れました。途中で気がつき家にとりに戻りました。
折角余裕を 持って出たのですがこれにより結果大幅タイムロスです。
駅に行く途中の坂道で、どこから見どう見ても後姿オバサンがチャリでスイスイと急な坂道を登って行きます。負けずと競います(チャリ通勤なのです)がなかなか追い越せません。
電チャリかと思いきや、違うようで何とか追いつき追い越しました。
しかしやっぱりこのオバサンは電チャリを乗っていたのでした(ナンノコッチャ)
最近の電チャリコンパクトなので分からなかったのでした(トホホ)。
この後も光速運転で駅まで向かいました。
このダッシュで若干時間を取り戻せたので少し余裕で電車に乗り込みます。
今日の仕事のことで少し考え事をしていて癖で顎に手を当てると、手の先に「ジョリ」という感触を感じました。
まさかです!何と何と髭を剃るのを忘れていました。
いくら髭が濃くないとはいえ、ビジネスマンとしては問題ですし見苦しいです。
さらに八王子に行くのにこれは完璧に勘違いで、何故か高尾行きに乗るのを青梅行きに乗ってしまいました。
途中景色が変なのに気がつき東中上駅で慌てており、立川経由で戻りましたがここで折角の余裕を食いつぶしてしまいました。 さらに駅について髭剃りを買い公衆トイレでお髭をソリソしたので結果15分の遅刻です(トホホ )。
でもお取引様も取り込んでいたので、結果遅刻はチャラでしたがアブナイアブナイで す。
さらにこのお取引様にお昼を誘われ、高級和食店に行ったのですが仕事の話に夢中になり「パチリ」を忘れました(これは仕方無いですね=当たり前!)
そして2時までに帰社しなければいけないのに、今度は荻窪で誰かがレールの上に石を置いたため列車が運休しこれまた遅刻です。
こんな日が在って良いのでしょうか? 全くついていません(怒)。
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それでは(^_-)

本郷散策

今日は所要で本郷に行きました。
用事がすみ、本郷界隈をそぞろ歩きです。
最初は、夏目漱石邸跡地です。

小説では「我輩は猫である」に出てくる主人公の飼主である英語教師の珍野苦沙弥先生がすんでいたところですが、実態はモデルの夏目漱石先生の住居です。
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さらに良く珍野邸敷地内横行する学生達は小説では落雲館高校の生徒ですが、実態は郁文館高校の生徒です。
いま同校は新校舎を建設中ですが、それにより見晴らしがよくなり、何と夏目漱石先生の住居と郁文館高校は隣り合っていたのが分りました。
明治頃はセキュリティも今と違ってうるさくなく生垣で仕切られた邸内に、落雲館高校の生徒達が縦横無尽に侵入を繰り返えせたのは理解できます。
漱石先生もこれには小説内に書くくらいですからマジに頭にきていたのでしょうね

その後は今日の目玉の東大安田講堂前にある東大中央食堂です。
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しかし土曜日の営業は、11:00から14:00までで残念なことに入館がおくれ食べられませんでした。
メニューを確認しますと、本当にたいした事も無く、この食事が日本の最高頭脳を支えているかと思うと少し驚かされました。

結局今日の獲物は以前から狙っていた、本郷三丁目かねやす前にある創業昭和45年の「洋食せんごく」です。
数あるメニューからハンバーグを選びました。
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メニューの惹句をご披露しますと以下のようです。
ステーキ用赤身牛肉を細切りにした、贅沢なビーフ100%のオリジナルハンバーグ」との事です。
ソースが次の三つから選べます。
/裕No.1せんごくバター
△気辰僂蠅箸ろしポン酢
やみつきになるガーリックマヨネーズ
私はヤミツキになろうぜということでガーリックマヨネーズを指定しました。
味ですか、贅沢ビーフを使用しているだけあって、肉の味もよく美味しかったのですが、付け合せの野菜(モヤシ&コーン)がショッパすぎてプラマイチャラという感じですね(残念)

その後は樋口一葉住居跡に行きました。
ここでは一葉が使っていたという「井戸」をパチリしました。
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画像が見にくいかもしれませんが、井戸水を沸かして飲みましょうの張り紙には思わず笑ってしまいました。だって水道水すら飲まない今の東京人が、ワザワザ古式豊かな水は飲まないでしょう

最後はいまでも東大の学生が住んでいる名門下宿「本郷館」をパチリです。
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最近の東大学生はお金持ちの子弟が多いと聞き及んでいますが、なにも好き好んでこのような安下宿にすまわなくてもと思うのは私だけでしょうか?
参考までにHPよりの引用を記しておきます。

【QOT】
1905年に建築された木造三階建ての建築物で、部屋数は70室前後。全体はL字型となっている。木造建築物としてはかなり大規模なもの。関東大震災や東京大空襲で東京の古建築が壊滅的な打撃を受けた中で、生き残った。所在地は東大正門より200メートルほどの場所である。この付近にはかつて学生相手の「賄いつき」「共同炊事場」の下宿屋が数多く存在しており、その名残を残すものである。長年にわたって現役の下宿屋として使われており、地域のシンボル的な存在になっている。2007年に老朽化のため取壊して建替える計画が公表された
【UNQOT】

ということで本日の本郷界隈逍遥はいかがでしたか。

それでは(^_-)

三四郎

今日は夏目漱石「三四郎」です。

三四郎の粗筋は以下の通りです。
物語は熊本から東大に入るために上京する汽車の中から始まる。その中で変な女に誘惑されそうになるが全くうぶで度胸の無い三四郎は全く気づかないふりをする。一夜を過ごす羽目になるが、結局何事も起こらない。女が別れ際に言う。
「貴方は余つ程度胸がない方ですね。」
この別れ際の女の言葉は三四郎に大きな衝撃を与える。
その後、都会の洗練された女性、美禰子に会うわけだが、この女性「ストレーシープ、ストレーシープ(stray sheep 聖書にある迷える子羊のこと)」と不思議なマントラを三四郎に吹き込む。
田舎者の三四郎は恋に陥る。
三四郎は美禰子が、一体朝から晩まで東大の地下室で光の実験をしている野々宮という男性が好きなのか、三四郎が好きなのか解らなくなる。
三四郎はストレーシープというのは、もしかして彼女が迷っているのではなく煙に巻いている三四郎の迷いぶりをからかっているのではないのかと思ったりする。
でもこの美禰子、結局の所野々宮とも三四郎とも結婚せず、別の人と結婚する。結婚すると決めた時、三四郎にこういうのである。
「我はわが咎を知る。わが罪は常にわが前にあり」

これは聖書の「伝道」からの引用ですね。
漱石は「三四郎」を書く前に、ドーデの「サフォー」、ダヌンツィオの「死の商人」を読んでいます。それを読んだことで俄然インスピレーションが湧いてきたそうです。
その証左が「三四郎」のなかに出てくる「ヘリオトロープ」という香水の名前です。
これは「サフォー」のなかでやたら出てくるのです。
こんな香水の名前当時の明治人知るわけ無いですよね(笑)
たしか野々宮さんは、寺田寅彦がモデルだったと思います。

私はこの小説何度読んだか分りません
ここまで拘泥したのはやはり「美禰子」さんでしょう。
魅力的なな女性ですが、男を振り回すだけ振り回して最後に「我はわが咎を知る。わが罪は常にわが前にあり」と自己中な台詞をいって全く別の男と結婚します。
漱石先生はこのような女性が好きだったのでしょうか?

漱石独特のメタファーも好きでした。
特に漱石はかなり落語、歌舞伎からの引用が多いいのですが、これは「坊ちゃん」によく見受けられます。

何故今日「三四郎」かといいますと、昨日死んだ父の夢を見たからです。
子供の時玄関から転んで左手の骨がおれ、その際父は家から近い(当時は台東区竹町に住んでいたのです)せいもあり東大病院で治療を受けさせたそうです。
骨折でもきちんと東大病院で治療させたという父の自慢話を思い出したからです。
それで三四郎池は良く子供の頃つれていってもらったということを亡き母から聞かされていました。
一度滑って三四郎池に落ちたことがあり、長じてお前は東大(高校一年生の一学期迄は、真面目に受けようと思っていた(笑))は鬼門だ、何故なら小さい時落ちたという落語みたいなオチでからかわれたものです。

今日の獲物は実演手打ちうどん「杵屋」です。


しかし一度も実演は見たことがないというか、実演する場所すらないので看板に偽りありです。
味ですか、ノビ蕎麦で美味しくありません。
ランチタイムは混むので、作り置きしてあるので仕方ないのかもしれません。
ここは生山葵を磨って蕎麦の上にかけてたべるのですが、これが全然辛くなくとても不思議なのです。

それでは(^_-)

ヘアスプレー

今日はお楽しみの映画「ヘアースプレー」を奥様と鑑賞します。
映画館は豊島園のユナイッテッドシネマ豊島園かTジョイ大泉ですが今回はTジョイ大泉に行きました。
この映画の内容は以下の通りです。


舞台は1962年の米東海岸の港町ボルティモア。
おしゃれとダンスに夢中な肥満の女子高生トレーシー(ニッキー・ブロンスキー)は、ヘアスプレー製造会社のTV青春ダンス番組「コーニー・コリンズ・ショー」に夢中になる。
ある日、番組のオーディションが開催されると知ったトレーシーは、父のウィルバー(クリストファー・ウォーケン)に励まされ、自分と同じく大柄な母親エドナ(ジョン・トラヴォルタ)の反対を押し切りオーディションに参加し運良く出演の夢がかなう。
その結果超肥満を恥じて家にひきこもる彼女の母は元気になる。
「黒人も一緒に踊れば楽しいのに」と無邪気なトレーシーの発言が黒人差別の美人番組ディレクターベルマ(ミシェル・ファイファー)を怒らせて警察まで出動する騒ぎへと発展する。

感想はネタバレにならない程度にいいますと、最初スクリーンを見た多くの観客は森公美子が外人キャラで歌とダンスをしているのかと思ったと思います。
主人公トレイシー役のニッキー・ブロンスキー1000人のオーディションから見事大抜擢された超大型新人ですが、それまではただの普通の高校生では何と御年17歳であの体です。
劇中で自ら言っていいた通りまさに「チビ(身長150cm位らしい)・デブ」です。
さらには、アメリカの超カリスマ人気アイドル、ザック・エフロンとのキスシーンも経験してしまったのですからまさにシンデレラガールの冠の通りですね。
しかしあれだけ踊りが上手いのに、あの体型なのは日本でも大人気なアイスクリームショップ「コールド・ストーン」でバイトをしていて、その合間にパクパクアイスクリームを食べていたせいなのかもしれません。
個人的にコーニー・コリンズ役のジェームス・マースデンの踊りが好きです。
ロックンロール好きにはタマリマセンね。
にさらには60年代を再現したレトロでキュートなファッションなどが最高でした。
私的には☆☆☆☆☆です。
ヘアスプレー

ところで映画から離れて今昔です。
まずは大泉学園の昭和31年です。

どうやら現東映大泉撮影所ですが、周囲に全く何も無い農村です。もともと西武の東京の別荘地としてできた町ですが何処に別荘地帯があるのでしょうね。

その後浅草に行きましたので浅草の今昔です。
その前に浅草寺の縁起です。


この浜成、竹成兄弟が救い上げたご仏像が、非常に高名な「聖観世音菩薩」であることが分り、この仏に深く帰依し改めてこの仏像を祀ったのが浅草寺の始まりです。そしてこの兄弟とこの仏計三人を祀ったのが「浅草神社(三社様)」なのです。
でもこの兄弟どちらが浜成さんでどちらが竹成さんなのでしょうか?

浅草ロック座の屋上から撮った珍しい「ひょうたん池」の写真です。前の方の池が現パチンコ屋さんで後ろに見える池が現JRAです。
ひょうたん池は明治17年に作られ昭和26年に観音本堂再建資金調達のため埋められたのです。
下町っ子の私も、生まれてなく名前こそしれ場所もおおよそしか知らなかったのでこの写真でハッキリと確認できました。
その名残で今ひさご(瓢箪)通りが残っています。



戦後間もない、全焼した「浅草寺」の改修工事の写真です。
「浅草寺」は昭和20年3月10日東京大空襲で消失しました。
たしか沢村貞子の随筆「私の浅草」にもこの東京大空襲の話がでており、彼女は当日「浅草寺」の境内の下に隠れていて、空襲が終わった次の日外に出たら地面が熱くて歩くのが大変だったと書かれていました。



お知らせです、あのお酒飲みの殿堂「松風」が店を閉めるようです。
残念ですね、しかし最近かなり敷居が高いのでお店に行くことも憚れます。
でもメンバーしか入れないのはヤリスギのような気がします。
記憶を紐解くと、当時お酒より酒のつまみの方がとても美味しくこれがあるから酒が引き立つように思えました。
お酒(日本酒)は、その当時(良く通っていた30年前頃)のお酒より今流通している方が美味しいと思います。
余談ですが、このお店「一人お酒三本ルール」ですが纏めて頼むと注文数が分らなくなり、滅多にないのですがたまに頼みすぎを指摘されると、連合いが急用ができて帰ったといえばそれですんだよき時代もあったのですよ。



現在の「松風」全景です。

「松風」の前の通りに有ります、10体近くある御利益タヌキ様の
置物です。今日はその中から「夫婦タヌキ」をお参りします。
この「夫婦タヌキ」様を拝むと夫婦仲がさらに良くなるそうです。
迷わず私は拝みましたが奥様は???

今日の獲物は浅草老舗「セキネ」のシュウマイです。
三十年ぶりに食しましたが、とても美味しかったです。
どちらかというとシュウマイというよりもミートローフをシュウマイにしたという感じですね。ツナギが強いのですかね肉が?今はやりの柔らか系と違い十分な歯ごたえ感がありとてもこれもよいですね。
まさに下町名物の名に値します。





最後に夫婦で手相を見てもらいました。
将来はお互い幸せな人生が待っているようです。
何故手相見さんは、必ず先生のような説教的な話し方になるのでしょうか

ということで今回はパチリ主体でオムニバス的Blog となりました。

それでは(^_-)







財布が出てきたヨ!

そもそもお取引様に呼ばれて上野にいったのがこのトホホ劇の始まりなのです。
そこでお取引様のお客様も同席されました。
当然の事ながら初めての方なので酒量が分からずまず一次会の中華料理でビールを六杯、紹興酒をフルボトルで三本のんで地獄の蓋が開いたのです。
その後初めての方とお別れし、大虎チョイ悪オジサン二人が浅草の街に放たれたのです。二次会はカラオケに行き、さらにそこからもう一件そこで濁酒をしこたま飲み(ここで二人ともお陀仏状態)、そして〆にさらにもう一件行きそこで(後付で分かったのですが)財布を無くしたのです。
書いていて本当におぞましくなります、まさにキチガイ水の真骨頂ですね。

しかし今回何で財布が戻ったのかつらつら考えますと次の幸運があげられます。
1.この日全くお金を支払わなかったことが全てです。
たかりではありません、割振りが面倒なので後で纏めて精算しようと考えていたのです。本当ですよ(^_-)
よってどこで飲んでどこからどこまでTaxiに乗ったのかお取引様がすべての領収書をもっておられたのでその日の道行きが完璧にトレースができたのです。
逆でしたら、財布の中にすべてが入っているので探しようもありません。
落とした店もお取引様が支払いましたので領収書がありトレースできたのでした。
しいていえば2人とも最後の店に行ったことすら覚えていないので、これのおかげで財布を落とした店に辿り着けたのです。
これが無ければ完璧にお陀仏です。

2.落としたお店の主人が道徳心ある方だったことです。
一応一昨日電話で確認した時は、二人の前夜のすごい壊れ方でケンモホロロの応対でした。
電話の会話も探したけれどありませんという冷たい回答でしたが、昨日電話がありよくよく探したらバーチェアの足元に隠れていました。却って落胆させてすみませんとのことです。
私から念のため中身確認してもらえませんかというと、人様の財布などのぞけないとのことです。
偉いな!そんな言葉が出てくるなんて私には信じられません。
ぽっぽしても分からなかったのに・・・


ということで財布は一泊二日の旅で無事に帰任されたのです。
しかし飲みすぎに注意しないと、いつかトホホではすまなくなりそうです。
家族に合わせる顔なかとです
尚この場をお借りしまして、多大なるご迷惑をかけました関係者にお詫び申し上げます。
多分もう二度としないと誓える予感がしますm(__)m

それでは(^_-)

宴の後

結局カラオケを歌いすぎて実家に泊めてもらうこととなりました。
そのカラオケ店で裸で歌っている巨漢がおり、何ナノかなと思いきや「関取=名前不明?」です。
たた確か今秋場所では?

朝起きたら。顔が真っ赤です。そんなに飲んだかなとよくよく鏡を注視すると「日焼け」です。頭に手ぬぐいを巻いていたので、変な焼け方をしておりすこしUgry君です。

その後実家で朝食をご馳走になり、いとまを告げた後帰宅です。
次男は秋葉原に用があり、私は合羽橋で「もんじゃヘラ」を買いに行くので二人で上野まで歩いていくことにしました。
途中両親の墓をお参りをし浅草をぬけて、合羽橋に到着です。
目指す「もんじゃヘラ」はすぐ見つかりました。今回は鉄板の上にオキッパしても、平気な用に持つところが、木製でできている「高級品」を求めました。

さらに歩を上野に向けると、何と突然路の真ん中に「レール」が出現しました。
」とよくよく見ると、メトロ銀座線の車両基地でした。そうか銀座線はここから出し入れするのかと少し感動しました。
「三球照代」に教えなくちゃ(古すぎで誰もこの突っ込み分からないのではと心配?)

結局だらだら一時間かけてJR上野駅は鶯谷口に到着です。


家に帰れば、午後から次男の予備校の説明会です。
そうだよな「受験生」だから本当は神輿かついでカラオケやっている場合じゃないよな(親がいうなよ)希望をいえば、早稲田にはいり、「慶早戦」で早稲田の席で「ハンカチ王子」を親子で応援するのが夢ですが、このごろは浪人しなければどこでも良い様に少しなってきました。

ところで自宅近くで二回交通事故もどきの目にあいました。
一回目は曲がり角で若いお嬢さんとチャリ同士で衝突です。
私は、ぶつかると思ったのでブレーキをかけてよけたのですが、お嬢さんは気が動転したのでしょう、ノーブレーキで突っ込んできて「ガチャン」です。
私は手に怪我、お嬢さんは無傷=良かったね(ーー;)
二回目は車とです。これも曲がり角です。カーブミラーに車が見えたのですが、ここは車が「一時停止」なので止まると思いきや、「一時停止」をしないで曲がってきました。
「これではじめたばかりのブログ人生も終わりか」と思いきや、お互いのブレーキが効き何とか延命できました。
「そういや、もうすぐ秋の交通安全週間じゃないか」と口の中で反芻しましたが、命あってのものだねだよ、チミ

それでは(^_-)

祭りdeワッショイ

今日は実家の祭礼のため、朝五時おきして次男坊と実家に直行です。
朝の十時半から十七時まで、真面目に神輿に肩をいれました。
そしていつものように、肩がミミズばれの真っ赤かか、お猿のお尻も真っ赤か、夕焼け小焼けも真っ赤か、神社の鳥居も真っ赤か-->誰かこの馬鹿止めてください
ということで特に話題もないのすが、かろうじて二つあります。
ひとつには神社の傍で、ヤー様とテキ屋様が二三十人位で揉みあう大乱闘を見学しました。
さすがにプロの喧嘩はすごいですね、それを止めとめるためにやはりプロのおまわりさんが仲裁していましたが、逆にこれは大したことありませんでした。
もうひとつは、芸者さんの「手古舞」姿での「木遣」を聞きました。
風情があって秋祭りの思い出にすばらしいアクセントを付け加えてくれました。

最後に本社での「宮入」ですが、これは人数も多く興奮しました。次男も「揉みのすさまじさにすっきり」とのたまっわていました。
今「宮入」も三社祭での一件があり、「喧嘩ご法度」「神輿乗り禁止」の通達が回っておりかなり整然としたものに変わってきています。

これから兄弟+次男とで「反省会」です、ビールが美味いぞ

それでは(^_-)

浅草「セキネ」

今日は死んだ「親父」の誕生日。生きていれば79歳でした。
結構「グルメ?」でかなり美味しいもの食べに連れてもらった記憶があります。
一つには親父が元気な頃は、それなりに「裕福」だったからかな?
でも、私よりワンランク上の「下町A級グルメ」でした。
よく入ったのが、浅草「セキネ」です。ここは一流デパートの大食堂を浅草に縮小して持ち込んだようなところです。
よって「寿司」ありいの「中華」ありいの「洋食」ありいの「蕎麦」ありいので、こうなるとほとんど「無国籍料理」の気分さえします。
当然のことながら、食べ放題の「料金青天井」でかなりお腹は満たされたものでした。
しかし面白いことに行くときは家族全員で帰るときは親父のみ「欠けてる」が常でした。
そうなのです、親父は10分位居るのですが、そのうち腰が落ち着かなくなり、一つ向こう筋の居酒屋「松風」にエスケープです。
松風は今では、単独飲酒禁止、会員様優先、酒は三本まで、酔客入店拒否と「正しい飲み方のグランドスラム」店ですが、その当時は美味しい日本酒を飲ませる「居酒屋」でそれほど厳格ではありませんでした。そこで飲むのが家族の団欒より楽しかったようです。
そうか「セキネ」か、味は「シューマイ」しか覚えていませんが、この間「三社祭」を見に行ったときに、小さな仮店舗で「シューマイ」の店頭販売をおこなっており驚いたものです。
それでは(^_-)

B食倶楽部

マラソンクラブの女の子から、次回の「B食倶楽部」の開催依頼のメールを受領しました。
そうなのです私は下町B食倶楽部の「主宰」をしているのです。
事の成り行きは、マラソンクラブの打ち上げの時、私は下町B級グルメの「エクスプローラー」という事を調子込んを話をしていたら、若い女の子たちがそれでは皆で行きましょうと盛り上がりった事が嚆矢です。
しかし、それはそれで所謂飲んだときの話かと思いきやマジ話でした。

結局芋が引けない(注:ビビッて手を引けないの意)状態となりました
「 B食倶楽部 」は粛々と進行したのです。

参加人数も、5人と多く幸いなStartでした。
「B食倶楽部」の憲法は三つ
1.美味しいこと
2.安いこと
3.割勘のこと
です。

今日まで、四回実施し、一度もケン=(注:見送りがないの意)がないのが誇りです。
今までの履歴を記しますと、以下の通りです

1st 菊川「和よしの」=赤モツと白モツのBattle堪能
2nd 浅草「パイチ」=ホワイトシチュウとタンシィチューの供宴を堪能
3rd 浅草橋「ピザハウス Bounobouno」=カプリチョーザ(気まぐれや)を堪能
4th 鶯谷「鶯谷苑」(A5レベル=サガリ⇒本当にこの店は教えたくない)

次回は「四川料理」です。

候補店は
浜松町「味芳斉」か白金「直城」を候補店にしています。
いかがでしょうか

それでは。

Heat Stroke(熱中症)

今日は月に一度のマラソンクラブの記録会です。
九時Startなのに、もう太陽は煮えたぎっています。
さすがに10.5kmコースを止めて、5.25kmコースを選択(根性無)。とういうのも昨日ブログの構成が崩れた事が気になりあまりというかほとんど寝てなかったため(以外に神経質)。

5.25kmコースは、一周1.75kmの周回コースを三周です。勢いよく飛び出したものの、二週目で「ヒーヒー」状態。何とかゴールしたがアンチビルドアップ(段々タイムが悪くなるの意味)でここに書くのも憚れる記録となる。

その後「クールダウン」していたら、目の前が真っ黒くなる、さらに心臓の鼓動が「早鐘」これはもしかしてHeat Stroke(熱中症)かと思い、さすがに流行に敏感なことだけあるなと感動する。
しかし汗が日本古典芸の水芸状態で体のいたるところから「ピューピュー」と吹き出ている。
本で読んだら「熱中症」は汗がでないとの事で、これはどうやら「貧血」のよう(残念)。
もともと「低血圧」なのに、そのうえプラス寝不足のせいか?
しばらく木陰で休んでいたら「復活」する。これ今年「貧血三回目」で、癖になってきたみたい。でも一度「ガッツリ失神」をしてみたい気持ちがあるが、しかし何故か怖くてできない。
似たこと怖くてでできないのが、整体の「首ボッキリ」と体操の「バク転=空転はOK」、両方とも何故か怖い。

家に帰り、シャワー浴び、家族で「北海道マラソン」観戦。皆札幌にいたので懐かしそう?女子の「加納由利」が優勝する。この暑いなか、よく頑張ったネとほめてあげたい
自分がマラソン世界にはいったのもこの「北海道マラソン」で、それもありこのレースは毎年応援している。
結局、マラソンでまみれの一日でした。後で「ヘム鉄=貧血防止薬」買いに行かなくチヤ

それでは。

台風

今日は大型台風9号が関東直撃、なにやら今日は飲んでないので奥様の命で駅まで長男を迎えに行かなければ(^_-)
台風といえば子供の時の「アルバイト」を思い出す。その当時住んでいた家の後ろに大きなドブ川があった。何故か台風の翌日「大量の軟球」が流れてくる。これを紐をつけたバケツを川に投げ込み、軟球を大量にサルベージュする。
そして家に持ち帰り、洗剤でごしごし洗う。それから乾かして「運動具屋」さんに持ち込み買ってもらっていた。
「運動具屋」さんはそれをC級品として売っていた。
いくらで買ってもらったか覚えてないが「夜店」で豪遊できる程度のお金だったと思う。たしかそんなことやる子供はいなかったのでほぼ寡占状態だったのでぼろい思い出である。

今日の夕飯は、「ぽっぽや」でラーメン。ここは殆ど「ラーメン次郎」です。多少不味いような気がするが・・・でもここの「太麺」は凄いな、まるで縄みたい。
たしか始めて「ラーメン次郎」で「ただ麺」食べた当時の値段が@140円、それで「ただ=Free麺」と真面目に思っていた。
昔はオジサンが「次郎」の二階にある雀荘まで出前をしてくれたっけ。

台風日なので「迷走文」となりました。
それでは。

子供の頃から好きなものの一つにチラシがあります。何故かといえば、まず盛り付けが綺麗、次に何処から箸を付けるかを考えるのが楽しい。最後に甘い「おぼろ」が好きと殆どお子ちゃま状態。 しかし「おぼろ」は子供の時に言わなかったと思います。あの当時は「デンブ」だとおもいます。
よく行く寿司屋の大将曰く「おぼろは海老を煮詰めて甘味を加えたので高級なのよ、でんぶは小魚じゃなかったヶ」と、なにやら「デンブ」は少し「低級」との事のようです。
ここからが本題。
逆に子供の頃から嫌いなものが、長爪。爪の中が少しでも汚れると虫酸がはしりますよって毎日「深爪」状態⇒白い部分がない。
子供たちにも、死んだらそこら辺に捨ててもいいけれど、爪を切ってから打っちゃてねと今から遺言しています。
しかし愛妻から、そのような「深爪人生」をしていると「巻入爪(かんにゅうそう)」になると、さらに放置すると「巻爪」になるとのこと。何故(WHY?)→歳をとるとなりやすいそうです。しかもなるとかなり痛い(ーー;)。とどのつまりは爪切開となります。そのようなことになると「じゃんけん」をした時にやたら目立ちます。
そういうことで仕方なく延ばしていますが、物心付いた時から伸ばしたことがないので気持ち悪い毎日を過ごしています。
それでは。

ぼたん

今日は神田にある新規先を訪問する。
そういえば、NF(たまにいくカラオケスナック)ここら辺に移転して、今日新装開店という案内がきていた事を思い出す。
たしか神田「ぼたん」ののそばだったと、独り言を言いながら程なく探し出す。まだ店内で業者が右往左往しており開店できるかは疑問?

目的をはたしたので踵を返して再び「ぼたん」の前を通る。「ぼたん」はあまりいい思い出がない。新入社員の時、初めての忘年会をぼたんで「設営」するよう、当時のOKB部長命で予約をする。予約の時威勢のいいオバチャンがいるなと感じた程度でその後起こる不幸にはまだ気がついていなかった。

当日とんでもない店だと分かるのには、一分もかからなかった。要はこの店新入社員もしくは若い幹事に気合を入れる店だったのだ。
怒る、怒鳴るは当たり前、上司の酒がなくなると「気配りが足りない」、お酌にしても「上司に対するお酌の仕方ではない」とかやたら気合を入れる。また末席社員だからガンガン飲まされる。当然酔う、しかしちょっとでも酔態を見せるとオバチャン達に「幹事は店を出るまで酔ってはならない」と叱責される。そのうち店が込んできてオバチャン達が忙しくなると「持っていく暇がないから、調理場まで酒や料理を取りに来い」とのたまう。
まてよ俺だって、金払ってるんだから「客」だろと思ったりしたがもうどうにも止まらない(^^♪
少し疲れて凹んでいると「S友商事の××常務も、ここで苦労したからあれだけ出世した」また「M紅の○○本部長は最初からそつなくこなした」とのたまい、さらに偉くなる若い人はすぐ分かるとまたまた気合を入れる。

今になっては「この気合パファーマンス」が最大の忘年会の「華」だっただろうな思うこの頃です。
でもあの「気合いれオバチャン」達も皆鬼籍に入っていると思うと、少し「しみじみ」モード(泣)になる。
しかしここと人形町「玉秀」の割り下はしょっぱすぎると大きな声で言いたい(ガオー)
それでは。

おしたじ

今日からブログを始めます。
まずは簡単に自己紹介します。
タイトルの通り、東京は神田で生まれ成長、その後大川(隅田川)を超え墨田区で生息する、小学校から高校まで、巨人軍王監督(今はダイエーでしたか?)と同じ学歴、ただしくは王監督は私の高校を落ち早実に入学する。しかし王監督は補欠一番だったので、もし試験当日一人でも風邪かなにかで欠席していたら、我高校に入学しており、世界の「王」が誕生しなったというのが我下町の定番伝説です(本当かな?)。確か中学の音楽の先生がよく言っていた言葉に「俺の右手を見ろ」(先生)「何ですか、皺が多いように見えますが」(生徒)「ふざけるな、もっとよく見ろ」(先生)「チョーク汚れのことですか?」(生徒)「NO! 世界の王を張り倒した右手だ!」(先生)「!!!」(生徒)これは実話です、ネM下先生。
その後脱下町を計るため有名セレブ系私立大学に入学、しかしかかし大学の友人が殆ど同じ大学に入ったことから交友関係変わらず、大学でも「下町」を引きずる。
その後社会人になり下町とは縁遠く国内を転々する。
地方でのTopicsが一つ、念願の禁酒を札幌の時実現する。しかし大阪での単身生活で簡単に復活、それ以来鯨飲人生まっしぐら。
趣味はB級グルメ食べ歩き、マラソン。

さて本日の「おしたじ」子供の時、醤油のことは「おしたじ」って言っていた、間違いなく!いつの頃から「お醤油」に変わっていた。
子供の時は、おしたし(正しくは「御浸し」?)に付けるから、おしたじかと勝手に考えていた(意味が分からん)。
しかし本を読んでいたら解明しました。
蕎麦のつけつゆをタレと言いますが、これは「垂れ味噌」を略して呼んだ名残だそうです。それに対して「下地」とも言いますがこれは醤油で味をつけるようになってからのことだそうです。「下地」とは吸い物の味付けの土台になるもの、すなわち「醤油」のことです。つけつゆが完全に醤油味になったのは18世紀後半以降の江戸でからです。
そうか「おしたじ」は下町言葉ではなく立派な「日本語(江戸弁)?」のようです。
といこうとは下町言葉じゃないか!(^^)!
しかし何で使わなくなったのでしょうか。醤油メーカーのCMの影響ですかね?
子供の時「醤油」なんていったら、何か「かっこ」つけている様に思えて「封印」してたものですが、要は人口に膾炙しなくなったんですね。

それでは。


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