今日は「突然の旅立ち」の話です
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今から19年前の2000年7月1日の日に起きた出来事です。
この日は初夏の日差しがまぶしい土曜日でした。
奥様と私そして弟と妹は末期がんで入院している父の病院での付き添いを昼からしていました。
と申しても、すでに緩和治療の為に多量のモルヒネを投与されていた父は、私たちの問いかけには答える事は一切ありませんでした。
洗濯等雑事を終わらせますと手持ち無沙汰になりテレビを見たり雑談をしたりして時間を繕っていました。
眼前にそびえ立つ東京タワーだけが、単調な呼吸を繰り返す父を優しく見守っていてくれました。

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時計の針は15時半を指していました。
雑談に飽きた私はナースセンターの脇にある父のバイタルサインのモニターを暇に任せて見つめていました。
父のバイタルサインは規則的な波長を繰り返していて、父の状態が不変であることを私に教えてくれました。
しか〜し、時たま父の血圧がパンパンの風船に穴が開いたかのようにすっと下がるのです。
気にするようなものでもないのですが、なぜかこの日はこの血圧の急落下が気になったのです。
病室に戻ると、弟妹達にこの異常について話しますと、気になるのなら看護師さんに確認してみたら、というのです。
そこで担当の看護師さんに、この状態は何なのですか、と聞きますと、異常があればこちらで捕捉し連絡しますのでご安心ください、との事でした。
病室に戻りその旨を皆に話しますと、弟が、気にすることないって。
その為に大学病院に高い入院費を払っているんじゃない。
なにか問題がおきそうならドクターから連絡があるよ、と笑い飛ばされました。
その後、弟妹達は今日の飲み会をどこにしようかを熱心に語っていました。
私はその会話の輪から外れて、再びナースセンターに行き椅子を借りて、バイタルサインのモニターの波動を注視していました。
やはり変なのです。
不定期ではありますが、血圧が急落します。
急落した後は直ぐに復帰するのですが、言いようがないような不安の影が頭の中に拡がってきました。
それでも全体の99%は安定していますので取りこし苦労かもしれないと思いなおし、病室に戻りますと、時計の針は17時を指していました。
奥様は、家にいる子供たちの夕飯の支度があるので、そろそろおいとまするわ、と言ったので、主治医のところに行き、今日はもう帰っても良いですか、と確認しました。
主治医は、今日も状態は安定しているので、問題ありません。
何かありましたら、電話しますので、安心してご帰宅ください、との事でしたので奥様を家に戻しました。

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弟妹達が帰り支度をしている時、真っ黒な雷雲が湧き上がるような胸騒ぎがしたのです。
そこで「念には念を入れよ」ではありませんが再びモニターを見るために椅子に座りました。
驚いた事に、安定していた血圧が短い間隔で乱高下し始めたのです。
すぐに担当の看護師さんにこの異変を告げますと、おっしゃる通りです。
急変しています、というのと同時に主治医に緊急連絡しました。
数分の内に主治医がナースセンターに戻り、父のバイタルサインを見て、至急、親族の方をお呼びください。
かなり危険な状態です、と言われたのです。
私はすぐに奥様を携帯で捕まえました。
奥様は最寄り駅の近くまで来ているだけでまだ電車には乗っていません。
そこで、すぐに病院に戻るように、と言いますと、どうしたの、と言われたので、急変したんだ、すると、いい△△さん、覚悟はできている、というので、そんな事より、早く戻って来い、と怒気を混ぜて答えたのです。
完璧に動転していました。

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電話を切って、病室に戻りますと、主治医が措置をしてくれていました。
措置をしながら、お父さんはこのように頑張りました。
医師としてやるべきはやりましたがまもなくご臨終をお迎えになられます。
安らかに旅立つよう、皆でお父さんの手を握ってください、と言われたので、わけもわからず父の手を固く握りしめました。
数分後に息を切らせながら奥様が病室に入ってきました。
そして父の脇に立ち、体をさすりながら、お父さん、お疲れさまでした。
安らかにお眠りください、と涙声で語り掛けたのが皆に感染しました。
皆が涙声で、長い間、お疲れ様。
もう頑張らなくていいから。
怖い事ないから・・・
天国にいけばお母さんが待っているから・・・
と口々に語りかけています。
それから数分後の17時58分に主治医から、ご臨終です。
皆様、お看取りご苦労様でした。
そして病室は低い嗚咽のひびきに包まれました。

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その嗚咽をかき消すかのように近隣の増上寺の18時を告げる鐘が悲しみにあふれた病室におごそかにひびき渡ったのでした。
それに呼応するかのように赤い夕陽が父の枕元にまで延びてきており、病室内はその夕陽により沈痛な朱色に染めあげられ始めたのです。
まるで映画の壱シーンを観るかのような父の旅立ちでした。


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今日は神田に出没です。
ここの料理特に炒飯が好きなのですが、いつも熱々ではないのが残念です。
それでも懲りずに来てしまいます。
今日のお店は「神田雲林(カンダユンリン)」さんです。

住所: 東京都千代田区神田須田町1-17 第2F&Fロイヤルビル2F
電話:03-3252-3226
休日:日曜日(貸切宴会等のご予約は承ります)

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お店の外観です。

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オーナーシェフの紹介です。

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メニューです。

今日のオーダー「豚肉と柔らか卵と水フキの黒豆トウチとろみ炒め」@1,050円です。

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待つこと4分でお茶が到着しました。

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待つこと19分で「豚肉と柔らか卵と水フキの黒豆トウチとろみ炒め」が到着しました。
見た目「THE中華」という感じですか。

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それでは実食です。
豚肉が柔らかいです。
水フキが良い食感です。
黒豆トウチはまろやかなコクとふくよかな香りにより料理の味に奥行きを持たせさせます。
那辺はこのシェフの材料選択の妙であります。
ケレンみのないフレーバーフルの味わいでした。
安定感あります。
美味しいです。

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さて今日ここの炒飯はなぜ熱々ではないのかが判明しました。
今日、私の前の2人連れの片割れお客が炒飯を頼んでいました。
私はその最初から最後までを見届けたのです。
シェフが炒飯を完成して厨房のスタッフに渡したのが12時22分00秒です。
そしてその炒飯が私の前のお客に到着したのは12時26分40秒です。
その間、約7分です。
これでは熱々さが半減します。
なんで7分かかるかと申しますと、片割れの料理ができるのを待っていて、二つ同時に持って行く配慮がなされていたからです。
個人的にはできたらすぐ持って来ればよいと思います。
さら〜に、この画像の通り、料理の受け渡し場所が狭いので、定食などの注文が大量にはいると、配膳に時間がかかり、この場所で停滞してしまうからです。
もう少し工夫ができないものでしょうか?
成毛オーナーシェフ様
那辺は真摯に且つ前向きに検討いただきたいものであります。

それでは(^_-)