今日は「停酒をして7年間」です
停酒をして7年間になります。
酒席でも私が飲めないのが恒常化してきて完璧に酒席の景色に溶け込んでいます。
そんな酒席において、ある程度の時間を過ぎますと皆が酔っ払って羽目を外し始めてきます。
それを見ている私は、なんでこんな悪魔に魂を売るような恐ろしい飲み物を7年前まで飲んでいたんだろうと感慨にふけっています。
酔っ払うってこういうことだったのだな、と改めて再認識しているのです。
人には戻る時間というものがあります。
それは上述のように「こんなもんだったのかな」というものです。
ところがこのような感情は、以外の感だけでは終わらないのです。
例えば、旧友と酒を飲んでいますと、彼らと過ごした時間をふりかえっているのです。
そういう時に私は記憶の中に立って、過去の時間を見つめ、彼らとの関わり、そして自分がここまで生きてきた時間の存在を思うのです。
あいつとは、あの時、あの店で無頼をして出禁になったな。
あの当時だからできたんで、もうあの店主のパンチはかわせないな、など若くみずみずしかった自分を振り返っているのです。
私にとって帰る事ができる友人というのはありがたいものです。

停酒の間接的な理由として父の存在があります。
聡明で真面目でシャイだった父は、生涯、優等生を演じたかったのではないかと臆断しています。
多分に、アカデミックな斯業に就きたかったのでしょう。
それは、時おり話す宮内庁に努めていた友人に対する羨望の言葉の中に込められていたことで分っていました。
その人生設計図を壊したのは戦争でした。
初年兵でいた父は戦地にはいかなかったものの、横須賀市追浜(おっぱま)にある海軍艦船修理廠にいました。
そこで戦闘で傷んだ船体の修理の兵務についていて、その傷ついた船体には沢山の戦死した兵隊も積まれており、それを引き上げて火葬にしていました。
そこで戦争の不条理、人間の脆弱さを、心に刻みこんでいたのでしょう。
鬱憤からの情動にかられなかったのは父がただただ真面目だったからだと思います。
戦後、希望していたアカデミックな人生行路が、戦後の貧困ということで実業という弱肉強食のジャングルに身を投じたのは必然の帰結でありました。
象牙の塔から切磋琢磨の競争の世界では、昇る階梯のそのものが違っていたのです。
就職した先で待ち受けていたのは、唯唯諾諾(事のよしあしにかかわらず、何事でもはいはいと従うさま)の軍隊スタイルの上下関係でした。それは数年とはいえ、軍隊にいましたので服従していましたが、困ったのは仕事が終わった後での先輩たちの酒席です。
飲めない酒の強要はかなりつらかったように聞いています。
しか〜し、父は「吐いて強くなるお酒かな」を実践して、メキメキとその頭角を現し、数年でその酒席番付の上位の地位を占めるようになっていました。
もともと、生真面目でシャイな性格だった事もあり、酔えば大言壮語をはける自らに気づいた事は、酒席にのめりこませる事を加速させていたのでしょう。
当初、父はその酒の効用に喜んでいたのですが、徐々に酒毒に染まり、酒を楽しんでいるのではなく酒に依存し始めたのです。
その人生の晩年は間接的自殺のようなものです。
私を含めた家族も色々と断酒を促したのですが、最終的にはイネーブラー(アルコール依存症者が飲み続けることを可能にする人)になっていました。
お酒を飲まなければいい人なのだから、とか、残り少ない人生だからお酒くらい飲ませてあげなくちゃ、みたいな事ですり替えていたのです。

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かかる私はそのような血筋であったので、お酒は強いと思っていました。
実際、中学1年生の時の、地元の例大祭で冷酒を飲みましたが、生まれた時から飲んでいたかのように体に入っていき且つあまり酒に酔わない自分に気づいていました。
そこで自信を持った私は、父親のような酒飲みにはならないぞ、という事で18歳くらいから多飲を続けていましたが、停酒前頃にはアルコールのコントロール障害に近い状態になっていました。
その為にお酒を停めたわけではないのですが、このままだとアルコール依存症になるなという予感はありました。
色々な偶然が重なって停酒にいたったのですが、なんで停酒を解禁しないのかな、なのですが、長期に断酒していても、再飲酒すればほどなくコントロールできなくなってしまうことです。
これは再発準備性とも呼ばれ、依存症の最も重要な特性のひとつです。
アルコール依存症の患者さんが生涯断酒を続けなければならない最大の理由はこの点にあるのです。
私はアルコール依存症ではありませんが、多分に先祖帰りするだろうという予感がありますので停酒を続けているのです。それと既に一生分は飲んでいますので・・・


ブラジルの女性レハネ・チリさん(49)は、病院で闘病中です。
末期ガンに冒され、余命いくばくもない状態です。
レハネさんには、子犬の頃から飼っており、心の友だった愛犬リッチーに会いたいという願いがあります。
何度も病院にお願いしましたが、 安全面や感染症の問題からなかなか許可がおりませんでした。
しかし、余命が短いことなどが考慮され、二人の再会が特別に許可されることになりました。
レハネさんを見たリッチーは、我慢できず大喜びでベッドに駆け寄ります。
その時の映像がこちらです。



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今日は神田に出没です。
美味しいスパゲッティが食べられるということでお邪魔しました。
今日のお店は「イル フルロ (IL FURLO)」さんです。

住所: 東京都千代田区内神田1-2-6 産広美工ビル 1F
電話:03-3293-0194
定休日:日・祝日

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お店の外観です。

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店内の雰囲気です。

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メニューです。

今日のオーダー「カルボメッツア」@1,300円です。
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すごい人気店です。
かなりの行列ができています。

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待つこと1分でテーブルセットが用意されました。

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待つこと5分でサラダとパンの到着です。
この二つは特筆するものはありませんでした。

待つこと16分で「カルボメッツア」の到着です。
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見た目「赤いカルボナーラ」というよりも「オレンジ色の憎いやつ」みたいな風情です。

まずは辛味対策で多めにパルメザンチーズをかけ回していただきます。
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それでは実食です。
玉子と唐辛子ってあいます。
ベーコンが美味しいです。
パスタもモチモチしていて食感が最高です。
これってすごく美味しいですね。
辛いカルボナーラって初体験ですが想像以上の美味しさです。
病みつきになりそうな予感がします。

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食後の珈琲もお美味しかったです。

それでは(^_-)