今日は「上野の西郷さん」です。
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今日のフリネタは「西郷さん銅像」です。
話題沸騰予定の「西郷(せご)どん」ですが、上野公園に銅像として建立されているのは周知の事実であります。
これまで、西郷さんは西南戦争を起こしたことで「逆徒」という事になっていました。
しか〜し、明治22年に大日本帝国憲法発布より、明治天皇がその恩赦として西郷さんの汚名を解いて正三位の位を追贈された事が端緒です。
それを受けて友人の吉井友美がご下腸金をベースに醵金(ある目的のために金を出し合うこと)を得て、当時の彫刻界の巨匠である高村光雲に依頼して4年の歳月の後完成したのです。
しか〜し、なんでこの地に銅像を建てたのでしょう。
ネットで調べますと、ネットでは以下のような説明がありましたので、参考にしました。
1. 上野は彰義隊の戦跡であるから思いで深い地であると思われたみたいです。
2. 西郷さんは当時朝廷側の指揮官だったのでその功績を顕彰する意味で且つ上野公園は帝室御用地なので、政府・皇室の肝煎りで西郷を顕彰する意味で選ばれたみたいです。
また維新最大の功臣を逆賊として殺してしまったことに対する、政府の高官たちの良心の呵責をつぐなうために、公的に彼を弔う必要があったのだと思われます。
もともとは銅像を千代田城に建てるつもりだったのですが「許可を得たりしたが都合ありて之を撤回して」という事でこの地になったようです。

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個人的には、これは官軍主体の思想背景があったと臆断しています。
当時の江戸っ子は、彰義隊の墓の前に西郷さんの銅像が建つのを快く思っていませんでした。
それは当然であります。
よりによって彰義隊の墓の前に西郷さんの銅像が建ったからです。
そもそも彰義隊は徳川慶喜の死刑を命かけて嘆願しようとしたのです。
それ故に、28,000人の官軍に対してわずか2,000人との少数で挑んだわけでありまして、はなからその敗北は想定内なのです。その為に多くの江戸っ子侍が切り死したのです。
それなのにこの地面の元の持ち主である徳川家の菩提寺である寛永寺がなんで俄然と猛反対しなかったのでしょうか。そうは言いながら、寛永寺では今日現在でも上野戦争当日の5月15日に一山住職が揃って毎年法要を行っております事を付け加えないといけませんね。
要は、官軍で構成されている時の政府は江戸っ子の哀悼なんかどうでも良かったのです。
それよりも西郷さんの思い出の地ということなのでその悲憤を上書きしたのです
というかこれは勝者の論理です。
加えて明治4年から明治6年に吹き荒れた「廃仏毀釈(神道国教化政策のもとでの寺院、仏像、仏具などの破壊)」の影響が残っていたので、天台宗の寛永寺は発言力がなかったのでしょうね、多分。
まぁ、一番良い考えは「戦争の後はNOSIDE」という考えで、戦跡の地に建てられたのでしょう。
さら〜に、戦争のイメージを払拭する為に、当初の銅像コーデは軍服だったのですが、当時の樺山海軍大臣が製作工場にきて今の普段着に変えたようです。


60312 父の視点と娘の視点



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今日は銀座に出没です。
美味しいうどんを食べようと思いました。
今日のお店は創業明治27年「花山うどん」銀座店さんです。

住所: 東京都中央区銀座3-14-13
電話:03-6264-7336
定休日: 無休

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お店の外観です。

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店内の雰囲気です

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メニューです。

きょうのオーダー「明太鬼ボナーラ」@1,350円です。
今日の「花山うどん」さんは、海外旅行者で混んでいます。
暇だったので、香港から来たカップルに何でこのお店を知っているかと聞きましたら、インスピレーション、ですと・・・
これには笑いました。
ガイド雑誌で下調べしてきたのではないのです、
凍てつく銀座の風に震えながら待つこと40分で店内に招き入れました。

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待つこと6分で「黒豆茶」の到着です。
身体が温まります。

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待つこと16分で「明太鬼ボナーラ」の到着です。
見た目、美味しそうです。
それでは実食です。
箸がきていません。
何かこのお店は来るたびに災難が降りかかります。
難無三であります。

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気を取り直して実食です。
鬼ボナーラ(カルボナーラ)鬼ひも川うどんは、汁(ソース)とが美味しいです。
イタリア人もそういうでしょう。

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玉子を溶くとさら〜にまろやかになります。
時折プチプチはぜる明太子が高評価です。
これはデラ美味うどんです。
心も体も温まります。
しか〜し、これを鬼ひも川うどんで食べる必然性があるのでしょうか。
パスタの方が美味しいような気がしました、ハイ。

それでは(^_-)