今日は「狂人が祭りを創る」です。
私たちは神に対して何をするのかというと「祈り」ということをします。
この祈りというのが、また遊びの基本になっております。
たとえば、私たちは跳び上がります、跳ね上がります。
どうしてこういうことをするのかというと、人間が跳ね上がった高さまで穀物が実る、それを祈っての行為が跳躍の始まりです。従いまして、高く飛び上がれるほど尊敬されて仲間の代表になります。
これが発展した究極のかたちがオリンピックの跳躍競技です。
なぜ高く跳べた人が金メダルなどで祝福、尊敬されるのか。
これはその集落、部族あるいは人類の繁栄を担う能力をもった人間だからです。
オリンピック競技は祈りに基づいているのです。
それから「走る」という事について。
早く走るということは一つの能力です。
しかし、日本の文献にもあることですが、昔は、走る人間というのは「狂人」と認定されていました。
くるくる回る運動、素早く走る動きとは正常な状態からどんどん逸脱していくことで、このような状態が「くるう」で、その異常な人間は狂人ですが、このような人間に神のお告げが伝えられる、あるいは神がそのものに近づくことができる。ですから今でも神前に舞踏が捧げられます。
「遊び少々」中西進著より転載
夏祭りが全盛です。
今日は鳥越神社の本祭です。
亡き母は赤ん坊だった頃の私がぐずって泣き止まないと近隣であった鳥越神社におぶって連れてきて、池の亀を見せに来ていたそうです。
当時の私は、この池の亀を見ますと、必ず泣き止んだそうです。
長じた私は、それほど亀は好きではありませんので、この母の対処法には?マークが付くのですが、今このように思い返しますと母の労苦には感謝ではあります。
私たち親子はくだんの通り三味線堀の西寄りの佐竹町に住んでいました。
当時の父は、鳥越は職人の街で嫌っていました。
特に錺(かざり)職人の町である三筋町は猫跨ぎ(鼻も引掛けない)でありました。
理由は簡単です、当時の父は、銅真鍮の問屋に勤めていて、台東区東部を担当していて、その取扱商品の特性から、銅真鍮で飾り物を作る職人さん達が顧客でした。
その為に、よく職人独特のいわれなきクレームに閉口していたようです。
それだけなら我慢もしたのでしょうが、職人さんは短気でして、勝手に独り炎上をするのです。
そしてその帰結は、鑿(ノミ)とか鋸(ノコギリ)を手に持ち、テメエなんかぶっ殺してやるから表に出ろ、ですからほとほと嫌気がさしていたようです。
そんな負の歴史を持つ父ですから、私が長じて神輿担ぎに傾注した20歳前の頃、下町生まれなので神輿担ぎは由としていたのですが、鳥越神社の祭礼の参加は認めませんでした。
当時の父の口癖は、行けば手足を取られる、でした。
実際、弟が仲間と鳥越神社の本社神輿を担ぎにいったのですが、帰ってきた弟曰く、兄貴、鳥越は乱暴すぎるわ。花棒取っただけでボコボコニ殴られて、即に引きずりだされるので着ている法被の片袖が取れちゃったよ、とその片袖がない法被を見せながらこぼしていました。
さら〜に、狭い下町の町内を渡御するので、大きな胴体に比べ太く短い担ぎ棒のために担ぎ手一人の負担も大きく、より重く感じると聞いていたのだけど、掛け値なしにマジに重かったわ、と笑っていました。
フリネタの通り、祭礼には狂人が必要なのはわかりましたが、今でも鳥越神社の祭礼には依然として往時とは趣を変えた狂人が神輿渡行を連綿と続けておりうれしい限りであります。
Trevor Booker Sinks the Craziest Circus Shot of the Year!
今日は、銀座は新橋演舞場に出没です。
今日のお昼はこの方のお父様が経営している喫茶店です。
今日のお店の名前は「カフェ江李花」さんです。
住所: 東京都中央区銀座7-17-4 日産不動産ビル 1F
電話:03-3543-2006
定休日:無休(年末休業)土日祝で、なおかつ新橋演舞場休演の場合は当店もお休み
お店の外観です。
店内の雰囲気です。
メニューです。
今日のオーダー「和風ハンバーグ」@1,020円です。
店内は超満員です。
人気店のようです。
待つこと3分で「和風ハンバーグ」の到着です。
見た目、美味しそうです。
それでは実食です。
あれっ、これは見た目より数段美味しいです。
デミグラスソースがホンマモンですね。
肉は特筆するものではありませんがソースはコクと香りの点でかなりのレベルです。
芸能人の父親のお店ということで軽くみていたのですが大違いです。
先にお店ありきでした。
宮本亜門さんは、ここで育って、新橋演舞場は遊び場だったようです。
渥美清さんは、藤山寛美が公演している期間は、何度も観劇をし、幕間のときに来店していたというそうです。
当時学生だった亜門さんは、将来、演劇の世界に進みたくて、渥美さんに進路の相談をしていたこともあるそうだですよ。
食事後、新橋演舞場の看板を見ていましたら、大好きな「熱海五郎一座」が公演していました。
実は買い忘れていて、切符売り場で空いている席を確認しましたら、場所はよくないのですがかぶりつきの席がありましたので、たまらず買ってしまいました。
私たちは神に対して何をするのかというと「祈り」ということをします。
この祈りというのが、また遊びの基本になっております。
たとえば、私たちは跳び上がります、跳ね上がります。
どうしてこういうことをするのかというと、人間が跳ね上がった高さまで穀物が実る、それを祈っての行為が跳躍の始まりです。従いまして、高く飛び上がれるほど尊敬されて仲間の代表になります。
これが発展した究極のかたちがオリンピックの跳躍競技です。
なぜ高く跳べた人が金メダルなどで祝福、尊敬されるのか。
これはその集落、部族あるいは人類の繁栄を担う能力をもった人間だからです。
オリンピック競技は祈りに基づいているのです。
それから「走る」という事について。
早く走るということは一つの能力です。
しかし、日本の文献にもあることですが、昔は、走る人間というのは「狂人」と認定されていました。
くるくる回る運動、素早く走る動きとは正常な状態からどんどん逸脱していくことで、このような状態が「くるう」で、その異常な人間は狂人ですが、このような人間に神のお告げが伝えられる、あるいは神がそのものに近づくことができる。ですから今でも神前に舞踏が捧げられます。
「遊び少々」中西進著より転載
夏祭りが全盛です。
今日は鳥越神社の本祭です。
亡き母は赤ん坊だった頃の私がぐずって泣き止まないと近隣であった鳥越神社におぶって連れてきて、池の亀を見せに来ていたそうです。
当時の私は、この池の亀を見ますと、必ず泣き止んだそうです。
長じた私は、それほど亀は好きではありませんので、この母の対処法には?マークが付くのですが、今このように思い返しますと母の労苦には感謝ではあります。
私たち親子はくだんの通り三味線堀の西寄りの佐竹町に住んでいました。
当時の父は、鳥越は職人の街で嫌っていました。
特に錺(かざり)職人の町である三筋町は猫跨ぎ(鼻も引掛けない)でありました。
理由は簡単です、当時の父は、銅真鍮の問屋に勤めていて、台東区東部を担当していて、その取扱商品の特性から、銅真鍮で飾り物を作る職人さん達が顧客でした。
その為に、よく職人独特のいわれなきクレームに閉口していたようです。
それだけなら我慢もしたのでしょうが、職人さんは短気でして、勝手に独り炎上をするのです。
そしてその帰結は、鑿(ノミ)とか鋸(ノコギリ)を手に持ち、テメエなんかぶっ殺してやるから表に出ろ、ですからほとほと嫌気がさしていたようです。
そんな負の歴史を持つ父ですから、私が長じて神輿担ぎに傾注した20歳前の頃、下町生まれなので神輿担ぎは由としていたのですが、鳥越神社の祭礼の参加は認めませんでした。
当時の父の口癖は、行けば手足を取られる、でした。
実際、弟が仲間と鳥越神社の本社神輿を担ぎにいったのですが、帰ってきた弟曰く、兄貴、鳥越は乱暴すぎるわ。花棒取っただけでボコボコニ殴られて、即に引きずりだされるので着ている法被の片袖が取れちゃったよ、とその片袖がない法被を見せながらこぼしていました。
さら〜に、狭い下町の町内を渡御するので、大きな胴体に比べ太く短い担ぎ棒のために担ぎ手一人の負担も大きく、より重く感じると聞いていたのだけど、掛け値なしにマジに重かったわ、と笑っていました。
フリネタの通り、祭礼には狂人が必要なのはわかりましたが、今でも鳥越神社の祭礼には依然として往時とは趣を変えた狂人が神輿渡行を連綿と続けておりうれしい限りであります。
Trevor Booker Sinks the Craziest Circus Shot of the Year!
今日は、銀座は新橋演舞場に出没です。
今日のお昼はこの方のお父様が経営している喫茶店です。
今日のお店の名前は「カフェ江李花」さんです。
住所: 東京都中央区銀座7-17-4 日産不動産ビル 1F
電話:03-3543-2006
定休日:無休(年末休業)土日祝で、なおかつ新橋演舞場休演の場合は当店もお休み
お店の外観です。
店内の雰囲気です。
メニューです。
今日のオーダー「和風ハンバーグ」@1,020円です。
店内は超満員です。
人気店のようです。
待つこと3分で「和風ハンバーグ」の到着です。
見た目、美味しそうです。
それでは実食です。
あれっ、これは見た目より数段美味しいです。
デミグラスソースがホンマモンですね。
肉は特筆するものではありませんがソースはコクと香りの点でかなりのレベルです。
芸能人の父親のお店ということで軽くみていたのですが大違いです。
先にお店ありきでした。
宮本亜門さんは、ここで育って、新橋演舞場は遊び場だったようです。
渥美清さんは、藤山寛美が公演している期間は、何度も観劇をし、幕間のときに来店していたというそうです。
当時学生だった亜門さんは、将来、演劇の世界に進みたくて、渥美さんに進路の相談をしていたこともあるそうだですよ。
食事後、新橋演舞場の看板を見ていましたら、大好きな「熱海五郎一座」が公演していました。
実は買い忘れていて、切符売り場で空いている席を確認しましたら、場所はよくないのですがかぶりつきの席がありましたので、たまらず買ってしまいました。
鳥越神社祭りのピンクの法被には、敵いません。
鮮やかです、時代ですかね〜
熱海五郎一座の観劇の感想が
待ち遠しいとこです