今日は「夏目漱石異聞 其の参」です。
夏目漱石さんは、江戸時代末期の1867(慶応3)年、江戸の牛込馬場下(現在の東京都新宿区)に生まれました。
東京帝国大学(現在の東京大学)の講師等を経て38歳にして「吾輩は猫である」で小説家デビューを果たし、以後亡くなるまでの約10年間に、「坊っちゃん」「こころ」といった数々の名作を著しています。
実は夏目漱石さんは大好きです。
高校三年生の時に名作「三四郎」を読んでノックアウトされた為です。
爾来、この作家とその妻の奥様である鏡子さんに興味をもって接してきました。
実際、次男の高校は敢えて漱石さんが住んでいた家の隣の学校にしたほどです。

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世間では鏡子さんはソクラテスの妻と並び称されるほどの悪妻として通っていましたが、当のご本人は、自分だからあの漱石とやっていけたのだと、むしろ褒めてあげたいくらいのことが沢山あったのだ、と自賛していました。
しか〜し以下のようなエピソードもありました。
漱石さんが大阪の講演の後、疲労による胃の不調で入院した時に、鏡子さんが東京からすっ飛んできたのですが、病室に入ったとたん、見舞客の菓子折りを見つけて「大阪ではこんなものを病室におくのか」と言って、詰めていた朝日新聞関係者をなじりました。
それを見ていた漱石さんは「まあそこまでいわんでもよかろう。お前はお守りなぞを、私にわからぬようポケットへ入れてくれたが、それでも病気になったじゃないか」と苦笑いしながらその場をとりなしたそうです。

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漱石さんは、写真で見る限りでは「苦虫を噛み潰したような顔」をしていますが、実態は東京の町屋の旦那といった風情で、学者や文士みたいに権威や退廃を自慢するような人ではなかったようです。
加えてドレスコードは、かなりラフだったようです。
特に性格は学者や文士とはおおいに異なり、几帳面で事務的且つ約束と義理は必ず守ったそうです。
実際、漱石さんは朝日新聞の社員であったことから、小説の過半は新聞での連載という形を取っており、連載中断を回避する為に胃潰瘍で病床にあった時も書き続けていたのです。

学業優秀、特に英語は頭抜けて優れていて、東京帝国大学では英文科特待生に選ばれ、J・M・ディクソン教授の依頼で「方丈記」の英訳をするなどの誉れがあります。
その一方で、大の落語好きで、特に柳家小さん(三代目)が贔屓でした。
「小さんは天才である。彼と時を同じうして生きている我々は大変な仕合せである」と名著「三四郎」の中で書いている程です。具体的に大ヒット小説「吾輩は猫である」の中では、随所に落語のワーディングが使われていました。
実際に漱石さんの講演では「どこかの新聞に僕の事を風上におけぬ奴だと書いてあったが、僕を肥桶(こえおけ)だと思っているんだろうか。吾輩は子の通り立派な男でハイカラにできている」とか「可愛い子には旅をさせろという事は、足の裏へ豆をこしらえろ、というのではない。つまり世の中の状態を知らせるために、可愛い子突き放すのであるから、自然派の親爺といってよろしい」とか言って笑いを取っています。
要は、漱石さんは、落語を通して、人が笑ったり、喜んだり、怒ったり、しんみりさせたりする言葉を熟知していて、実際に多用していたいみたいです。
さら〜に、イギリスに留学して最高、最新の英語、英文学を学び英語感に磨きをかけました。
夏目漱石
実際、奥様の鏡子さんは帰国後の漱石さんを、これだけ沢山の分厚い英文学書と毎日夜遅くまで格闘している姿を見ていて、何をしているかわからないけれど、このひたむきな姿が報われないとこはないと迄言わしめたほどでした。要は、漱石さんは、小さんの口語体を下地に当時の最高の言語学を学んで、平明でしなやか、しかも意識の内側のことや、大局的な事柄も搭載できる現代日本語を作り上げたことが最大の功績でしょう。

最後に次のエピソードを紹介します。
ある日のこと、胃の悪い漱石さんを気遣った鏡子さんは、食べ過ぎないように好物のようかんを隠したそうです。すると漱石さんは、ようかんが入っているはずの戸棚を必死に探し続けていました。
すると、その必死さを見かねた幼い娘さんが、お父さんここにようかんがありますよ、と教えてやりますと、漱石さんは娘を最上級のほめ言葉で称え、笑みがこぼれんばかりの破顔でようかんを頬張ったそうです。
私は、このような幼弱性を持った天才を愛しています。
さら〜に大衆をマスとしてとらえずインディビジュアルなマス、すなわち個人の集まり、独り独りの集積体と見る流れは、大正デモクラシーへと繋がっていくのですが、それを推し進めたのが漱石さんでした。
今、私たちが民主主義という自由や平等といった権利を謳歌できる礎を作ったのが漱石さんだったというのは、正鵠を射ているといっても過言ではないでしょう。
参考文献「新聞記者夏目漱石」牧村健一郎著


サプライズ?



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今日はイーハトーブ花巻に出没です。

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今日のお店は美味しんぼの海原雄山になりすました雁屋哲さんが大絶賛した「暮坪そば」のお店です。
今日のお店は「麺房高松庵」 花巻店 さんです。

住所: 岩手県花巻市高松第11地割172-1
電話:0198-31-2888
定休日: 不定休

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お店の外観です。

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「暮坪かぶ」の紹介です。

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沢山の芸能人の方が来店されています。

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お店のこだわりです。

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店内の雰囲気です。

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メニューです。

今日のオーダー「暮坪そば松」@1,620円です。
このお店は、駅から1.4kmもありましたので歩いたら大変でした。
加えて良く来ていた花巻ですが、さすがに10年ぶりなので地理が不案内になりタクシーでお邪魔しました。
ちなみにタクシーの運転手さんは、この「暮坪そば」というかこのお店は一度も来たことがないそうです。
理由を聞きましたら、高いから、ですとメイクセンスであります。

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待つこと8分で「暮坪そば松」の到着です。
見た目豪華です。

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これが噂の「暮坪かぶのおろし」です。

天麩羅の面々です。
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今日の天麩羅は、海老、ピーマン、カボチャです。海老天麩羅の花の咲き方が弱いですね、やはりお蕎麦屋さんの天麩羅ですから素寒貧の海老じゃさまになりません。
実際、天麩羅の味は素寒貧とまではいいませんが、私の好みではありませんでした。

それでは蕎麦にいきます。
蕎麦は水切りが良くなくてだらっとした感じでしたがまずまずのお味です。
肝心の「暮坪かぶのおろし」です。
「究極の薬味」として海原雄山をうならせたこの蕪は、私の場合は峻烈すぎて喉がうなってしまいました。
どうでしょうか、蕎麦にここまでの辛い薬味が必要なのでしょうか。
それを希釈するかのように付け汁は甘く感じました。
部分最適ではありますが全体最適ではないような感じというのが総評です。

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最初の膳がきてから8分後に二枚目のせいろがきましたがtoo lateです。
ちょっと乾いていますね。
私が注文した時は、私しか客がいなかったのですから、頃合いをみて供して欲しかったものです。
その為に、甘いつけ汁に呻吟する事となりました。
所謂、観光名所蕎麦ですね。
失礼しました。私が海原雄山になれない事を証明できた花巻のランチでした。

それでは(^_-)