今日は「行間を読む」です。
読者の皆さんの中には、海外発注するソフトウェアの仕様書をどこまで厳密に書くべきかで悩んでいる方も多いのではないでしょうか? 日本側からよく聞く話として、「外国人エンジニアは仕様書の行間を読んでくれない」という問題があります。外国人プログラマーは、良くも悪くも日本人が書いた仕様書を文字通りそのまま忠実に実装しようとします。そのため、日本人が見落とした異常ケースをそのまま作り込んだりします。

そんなとき、「外国人エンジニアは仕様書の行間を読んでくれない!」とか、「向こうが作った成果物はバグだらけ。本当に使えないなぁ」などと、人のせいにしてはいけません。もちろん、相手が悪い場合もあるでしょうが、本当に日本側に落ち度がなかったのか、きちんと検証する必要があります。

なぜ、外国人エンジニアは仕様書の行間を読んでくれないのでしょうか? あるいは、読めないのでしょうか? “行間”とは、文脈(コンテクスト)や背景、前後関係のことです。文脈の解釈には、その国独自の文化背景と密接に関係します。日本、アラブ諸国、フランス、イタリア、ギリシャ、南米諸国などは、“高文脈文化”といわれています。中でも、日本は、高文脈文化のトップランナーだそうです。一方、イギリス、アメリカ、オーストラリアなどの英語圏、ドイツ、ノルウェーなどの国は“低文脈文化”だといわれています。

高文脈文化の言語は、文化を背景にして会話が成り立っていて、全てを言葉にしなくても通じる文化です。この最たる国が日本でしょう。一方、低文脈文化の言語、例えば、英語には、文中に全ての情報が入っているので、その文化に初めて触れても、「阿吽(あうん)の呼吸」や行間を読まなくても、相手を理解できます。

日本では、「目を見れば分かる」「阿吽の呼吸」など、一種の精神性に依存することが普通で、細かく説明すると、「やぼったい」とか、「あいつは子どもだ」とか、「空気が読めない」などと言われてしまいます。“目を見れば分かり合える文化”、例えば日本語では、主語がなくても何の支障もなく会話が続きます。まれに誤解を生じることもあるでしょうが、特に不便も感じず、私たち日本人は「主語なし会話」で生活しています。

行間を読む
アメリカ人からしてみれば、テレパシーや特殊能力に思えるかもしれません。アメリカは多民族国家ですから、低文脈文化は、人々のミス・コミュニケーションを避けることに役立ちます。アメリカ人の目から見ると、文字になっていない言葉、言葉として発せられていない情報が飛び交う日本はものすごく理解しにくく、ミステリアスな国なのでしょう。

以下で、低文脈文化と高文脈文化をもう少し掘り下げてみます。

高文脈文化の言語はその典型的な日本語など、伝えるべき情報の多くは社会的な文脈の中にあるため、コミュニケーションしている人々の間で、ある程度、情報を共有しています。つまり、言葉で表すこと以外に人々が共有しているものが多い社会のことです。日本語の場合、話の流れや背景により、伝える部分が非常に多い言語といわれています。

低文脈文化の言語の典型的な英語では、伝達する情報は、全て言葉によるメッセージの中に含まれています。は、文脈の解釈があまり得意でありません。文章中に全ての情報が入っているため、行間を読む必要がないのです。

以上から、日本語は、極めて抽象度が高い言語であることが分かります。日本語の曖昧な表現として、具体的に以下の2つがあります。

#主語がない場合が多い
日本語は高文脈文化を持っているため、主語を明示的に使わなくても、相手に意図を伝えることができます。主語を使用しなくても、相手に察してもらえる文化背景があるためです。また、例えば、「何を食べる?」「ボクはスパゲッティ」のように、主語が曖昧な場合もあります(「ボクはスパゲッティ」を文字通り解釈するなら、英語では「I am spaghetti.」となるはずです)。

#単数・複数の概念がない
日本語には、単数と複数の概念がありません。「山々」や、「国々」など、英語の複数に近い表現もありますが、基本的に日本語は単数と複数を区別しません。日本人が英語の勉強を始めて、最初に戸惑うのがこれでしょう。

以上の理由から、日本人向けに書いた要求仕様をそのまま外国人に見せると、相手にこちらの意図が全く伝わらない可能性があります。曖昧性を排除しようとして、日本人が無理やり英語で仕様書を書いても、日本語感覚で記述する限り、何も変わりません。日本の企業なのに「社内の公用語」を英語にするところもあって、話題になったようですが、日本語感覚で英語を読み書きする限り、「英語流の思考」は身に付きません。日本語を外国語に訳す、あるいは逆に、外国語から日本語に訳すためには、母国語と同レベルの知識の理解が必要になるのです。
「行間を読む文化VS読まない文化」山浦恒夫“組み込みな話”より転載

久々の「目から鱗」の話です。
海外の取引との打合せの際に良く言われるのは「日本の常識、世界の非常識」です。
これは全くその通りだと思っていました。
それは日常会話の中で日本人は常識的な事即ち「暗黙知」は言わなくても、会話が成立してしまうからです。
要は行間を読みさえすれば理解できるからです。
それは日本人が高文脈文化の言語の人種だったからなのですね。
したがって低文脈文化の国々の方々にとって、日本人が英語で話していても、日本人の英語は語学の優劣以前に、もともと文章の組み立て方に問題があったので通じにくかったのでしょう。
英会話はまだcommunicationをとろうということでS+VなりS+V+Oという構文で文章を組みたてようとするのでまだ救われるのですが、日本語が話せる外国人との商談になりますと、所謂巷間言われる「ムチャブリ」となるのでしょう。
その帰結として多くのクレームが起るのです。

個人的に言えば私は主語なし言葉を多用する人間であります。
従いまして家の中でもよく日本語が通じない時があります。
唯一私の主語なし言葉を理解してくれるのは我が奥様だけです。
一例をあげれば「あれどうなった」「あれどこにある」とかです。
しかも唐突にこれらの言葉を発するのですから、奥様以外しかわかりません。
多分その日の会話の中で「あれ」の具体的な説明がでているので、奥様は沢山ある過去会話の中から帰納して、その「あれ」がどれに該当するのかを瞬時に読み取っているのでしょう。
所謂「阿吽の呼吸」とか「啐啄同時(呼吸が合う意)」とかいう言葉で言い表せます。

近所のカナダ人と話している時、以前私がいわれた事の中で単数と複数を区別しない事がありました。
その時に、通じているからいいじゃない、と切り返したところ、通じているけれどね、英会話圏の人間は、その区別ができない人は即ち知的レベルの低い人とみなしているよ。
もし英会話圏の外語人相手に big businessをしたいと思っているなら、それは無理よ、と言い切っていました。
そうなのですね。何事も「郷に入っては郷に従え(when in Rome, do as the Romans do )」なのでございます、ハイ。


"史上最高を" と、GoPro とサーフィン情報サイト Surfline が開始したコンテストに届けられたクオリティーの高い映像たちの中でも、この、アンソニー・ウォルシュ (Anthony Walsh) が「1つの波で5つのチューブをくぐる」インドネシアの海で撮影した作品の、なんと素晴らしいことでしょう。
神々しいまでの域です・・・



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今日は銀座に出没です。
日中気温は35度まで上がっています。
もう少しで私の平常体温と一緒です。
そんな時に大行列が目に飛び込んできました。
そんな大行列は無視するんだ!
ってsplashさんに言ったのですけれど、時遅しでsplashさんはすでに方向転回していました。
熱中症になっても知りませんよ。
ということで今日のお店は「銀座 篝( かがり)ラーメン」さんです。

住所: 東京都中央区銀座4-4-1 銀座Aビル 1F
電話:非公開
定休日:日曜日

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お店の外観です。

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メニューです。

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待つこと25分、直射日光をもろに浴びて立ち続けていました。
今週の日曜日、同じく炎天下の中12時間耐久マラソンでハーフ(21km)を走っていてもヘッチャラだったことより多少の暑さは苦にしないものの、ランチでの耐久待ちはなぜか根性が無く完璧に顎があがってしまいました。
脳の水分が全部水蒸気になってしまったようです・・・
危険な昼食です!

26分立って店内に招き入れられた時には完璧に意識朦朧状態でした(笑)
本日のオーダー「GINZA涼麺(夏季限定)」@1,000円です。

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待つこと6分で「GINZA涼麺」の到着です。
見た目綺麗ですね。

トッピングはローストビーフをメインに茄子、オクラ、冬瓜、帆立、京都産筍でした。
透明なプリンプリンは吉野葛なのからジュレなのかなぁ、ちょっと不明でしたが涼感を演出していました。
それでは実食です。
鰹節、煮干しの出汁は上品です。
麺は中太のストレート麺でもちもち食感です。

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途中からお店の指示によりトマトの別皿を加えました。
トマトの酸味が味を引き締めます。
味ですか、疑似熱中症だったみたいで良く分かりませんでした(笑)
しいていえば上品な味です。
夏だから灼熱の太陽に負けないような力強さが欲しかったですね。
まぁこのお店の味のこだわりからすると涼麺の路線が違うのでしょうね。
秋になってから再訪です。
こんな日もあります・・・

それでは(^_-)