今日は「語学の天才、野口英世」です。
野口英世」
ロックフェラーの創世記である20世紀初頭の23年間を過ごした野口英世は、今日、キャンパスではほとんどその名を記憶するものはない。彼の業績、すなわち梅毒、ポリオ、狂犬病、あるいは黄熱病の研究成果は当時こそ賞賛を受けたが、多くの結果は矛盾と混乱に満ちたものだった、その後、間違いだったことが判明したものもある。
彼はむしろヘビィ・ドリンカーおよびプレイボーイとして評判だった。
結局野口の名は、ロックフェラーの歴史においてはメインチャプターというより脚注に相当するのでしかない。
「生物と無生物のあいだ」 福岡伸一著より転載

今数十年ぶりに渡辺淳一著「遠き落日(上・下巻)」を読み返しています。
若い頃読んだ時は、永年に亘って染みついてしまった赤貧により纏まったお金を持っていると、すぐになくなってしまう不安から豪遊・散財してしまうという件(くだり)に反応して極めて好ましくない人物との低評価だったのです。
今回、あらためてこの会津若松の偉人のすごさに驚いています。
すごい人です。

感銘を受けたことは多々あったのですが、今日のフリネタでは「語学の天才」としての野口英世をfocusしてみます。
私も語学(英語)のmasterにはさんざん苦労してきました(今も苦労している)鈍才ですので、野口英世の際立った短期間での語学習得には、正直、驚きを禁じ得なかったのです。
それではその紹介にLet’s move on!

17歳の若松在住時に野口英世は、医師の和崎善路氏と和田遷吉氏から英語を学び、一年でカーライル伝からクライブ伝までマスターをしました。
またドイツ語を、同じ若松在住の文学士、佐竹元二氏につき、のちにフランス語を三乃町の天主協会のファヴィ、マリオン、デラフタの三氏より学びました。
さらには会陽医院の倉庫に、大量の漢書が眠っているのを見つけ、これを片っ端しから読破しています。
しか〜しこれらの勉学は、すべて医院の仕事の合間になされていたのです。
そんな苦労の中、3カ月間という短い期間で、ドイツ語、フランス語の原書を読めるようになったのでした。
この偉業の最大の要因は、野口英世は一度引いた語彙は全て覚え、二度と同じ語彙を引くことはなかったという特異才能によるものです。
語学(記憶力)の天才でありながら加えて抜群の集中力を持ち併せていたようです。

中国牛荘にペスト撲滅に訪れた日本医師団一行の中に野口英世がいました。
野口英世は五日間の船旅の間、一人船倉に下りて、下級船員の中国人と身振り手振りで話をし、寝るとき以外はほとんど中国人と接していて、牛荘に着いた時には、日常会話にはほとんど支障のないまでになっていました。
実際受け入れした中国衛生局は野口英世を初め通訳と間違えていたそうです。
なんともすごいものです。

アメリカにきて2年もたつのに野口英世の英語はまだよく通じなかったようです。
英単語はかなり知っていたのですが、発音がまずくアメリカ人には理解できなかったのです。
実際彼の英語は「牝牛の英語」とまで現地の研究員からは揶揄されていました。
しか〜し「俺の欠点は手の不具とそして英語がまずいことだ」と自ら思いながらも、持ち前の図々しさで、誰彼となく掴まえて英語をしゃべり続けていました。
さらには研究室には「英語のほか喋るべからず」という貼紙をして、日本語を一切喋らないようにして英語をmasterしたのです。

野口英世がメキシコのメリダでメリダの医師や衛生関係者を集めて演説した時に、こともあろうに全く喋れなかったスペイン語で話したそうです。それはニューヨークからメリダにいく汽車のコンパートメントの中に缶詰となり、その移動するわずか七日間の間に覚えたそうです。
これまたすごいですね。
実際に野口英世の演説を聞いた人達は、初めて聞く日本人の演説がスペイン語でなされことにすごく驚いたようです。

上述の通りかなりすごい逸話の持ち主です。
これは全て渡辺淳一著「遠き落日(上・下巻)」からの抜粋ですので、小説という事もあり多少割り引いても野口英世が語学の天才であったという証左には変わりありません。
個人的には最後のスペイン語ですが、発音は一体どのようにしてmasterしたのでしょうか、他の言葉は全てnative speaker(除ドイツ語)を介して覚えていたので疑問は生じなかったのですが、スペイン語のみは不思議であります。

野口英世はメランコリー型性格(秩序を愛し、几帳面で仕事熱心、対人関係では律儀で誠実、他者への配慮が強く、責任感が強い)であったため、やたら押しが強く、エネルギッシュな人格だったと言われています。
その為に彼我、貴我間の横縦連衡を試み短期間に外国語をmasterできたのではと憶断するところでもあります。
これは競争社会で生き残ろうとする人間に共通する性格類型ということになるのでしょう。
そういう意味では野口英世はこの点でも日本人の魁(さきがけ)であったといえます。

最後に私が感銘を受けた件(くだり)を紹介して偉大なる野口英世の紹介を終わらせていだきます。

1910年の春以降、英世はこの仕事に没頭した。研究室は試験管の山であった。しかも、その一つ一つを、英世は自分の手で洗浄し、培地をつくって接種する。一人で観察から試験管洗いまでやるのだから、いくら時間があっても足りない。研究室で仮眠し、ふとうなされたように目覚めると、そのまま孵卵器を開いて、試験管を見る、ある一瞬、どこかの試験管に、スピロヘータの繁殖が見られないともかぎらない。一瞬のチャンスを逃しては終りである。 
「どんなアメリカ人でも、彼のスタミナと精神力には敵わない」フレキスナーが呆れてつぶやいた。 
「いかなる西洋人も、ノグチの真似はできない。24時間、彼は働きどおしだ。おそらくあの仕事への打込みようのなかには、われわれに理解できない、日本独特の哲学があるのだろう」 
全然に家に戻ってこない英世を案じて、荒木が研究室に行ってみると、英世はぼさぼさ髪で血走った眼で、葉巻を口から離さない。
「少しは休まなければ、体に毒ですよ」
荒木が忠告すると、英世は憤然と、例の甲高い声で、 
「人間は体のことを考えるようになったら終りだ。自分をいたわるようになったら、もうエルギーはなくなったということだ。若いくせに、おまえは老人みたいなことをいう」
と、逆に説教をくらう。


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今日は池袋に出没です。
本当に珍しく「ラーメン二郎」が食べたくなりました。
正直に言います、私の下半身は「二郎」でできています。
今日のお店は「ラーメン二郎」 池袋東口店さんです。

住所: 東京都豊島区南池袋2-27-17
電話:03-3980-0210
定休日:月曜日

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お店の外観です。

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店内の雰囲気です。 

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メニューです。

久々の「二郎」です。
High calorieなのでこれで最後、これで最後と思いながら来てしまうのは不思議であります、ハイ。
オジサン(総帥)、山田さんも今や時の人ですからね、隔世の感があります。
確か昭和19年生まれだったような記憶ですので、そこから逆算すると御年70歳ですか。
良い年というかオジイサンではないですか。
しっかりものの奥さんは今でも元気なのでしょうかね・・・

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今日のオーダー「ラーメン、ニンニク、少しだけ辛め、麺堅、麺少なめ」@700円です。
今日は伺った時間が20時半だった事と行列の狭間だった事が相俟ってほとんど待たずに入店できました。

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それでも待つこと15分で着丼です。
このくらいのボリュームで丁度良いのです。
それでは実食です。
少しだけ辛めのカネシは丁度良い味わいです。
乳化が少し弱いような気がします。
麺堅の麺(重語ですね)は、ほぼほぼ満足です。
豚は固めで、ジュシ―さはありません。
もう少しクタクタ、ヤワヤワあんどエンド部のみ脂身の豚がmy favoriteではありますが、総じてイケいていましたので由とします。
ニンニクが妙に青臭かったのが悪評価であります。
で〜も久々の「二郎」は堪能できました。
また食欲中枢が命じたら再訪しましょう。

ところでところで学生らしいカップルの連れの女性がおもむろにハンカチをだしたので膝の上に置くのかなと思ってみていましたら、なな何と椅子の上において座り直しました。
多分椅子が汚いのだと思ったのでしょうね、それならダスター借りて拭き取ればいいのでしょうが、多分ちがうのでしょう。神経質なだけですよね。
妙に気になったふるまいでございました・・・

それでは(^_-)