今日は「死語の世界はな〜い」です。
夏目漱石
〈余は一度死んだ。そうして死んだ事実を、平生からの想像通りに経験した。果して時間と空間を超越した。しかしその超越した事が何の能力をも意味さなかった。余は余の個性を失った。余の意識を失った。ただ失った事だけが明白なばかりである。どうして幽霊となれよう。どうして自分より大きな意識と冥合出来よう。〉  
これが漱石の実感であった。  
全体の文脈を離れて読むと、この部分、ややわかりにくい気がする。僕なりに現代風に補足して意訳してみる。  
「たしかに事実として私は一度死んだらしい。けれどその事実は、いつも想像していたように、突然の意識の断絶、無であった。そこには、やはり日常感じていた時間も 空間もなかった。私は、私か私であるという個性と自意識を失っていた。その事実だけがはっきりしていて、私は死後の世界で存在しようがなかったし、まして個を包括する大きな存在に帰ってゆくような経験などできようはずはなかった。」
いかにも漱石らしい。
そうは思うのだが、凡俗の常として、このとき、漱石に死後の世界をかいまみせるような「臨死体験」があったとしたら、とつい思ってしまう。  
立花隆『臨死体験』(文春文庫 上下 2000年)によれば、欧米の臨死体験者は多くが死後の世界や神を信じるようになる。が、意外にも日本人には、あれは脳のみせた幻覚だったと考える人が比較的多いのだという。ただ、面白いのは、それでも死を怖がる気持ちはなくなり、生そのものをみる目もかわるという。体験としての深度はあまりかわらないのだ。
僕に臨死体験はないが、おそらく人が死に瀕するほどの危機にあるとき、脳内ではそうした現象がおこるはずだと思っている。それに近い脳内現象をおこすのが宗教的な「悟り」や「啓示」なのだろう。
「孫が読む漱石」夏目房之介著より転載

「強いて寝返りを右にうとうとした余と、枕元にある金盥に鮮血を認めた余とは、一分の隙もなく連続しているとのみ信じていた。その間には一本の髪毛を挟む余地のないまでに、自覚が働いてきたのみ心得ていた」とは漱石の死の世界からの生還の感想です。
その時の漱石は、眠りからさめたともさえも思わなかったそうです。
死と生の間にある「霊妙な境界を通過した」とも当然のことながら考えなかったそうです。
つまり死んだという自覚もなく、よくいわれる魂の肉体からの離脱も体験しなかったそうです。
さらに死は漱石にとってすこしも恐ろしいものでもなく、spiritualな体験でもありませんでした。
伊豆の大患の後東京に戻った漱石は、死ぬ事とは本人が存在しない事だと理解したそうです。
そして人間にとって死ぬ事はすくいにさえならない。さらに人間は幽霊にもなれそうにないことを漠然と心に留めて、死とはそのようなことだと思うと心細さとつまらなさを感じたそうです。

私は“死後の世界”の否定論者でもありません。
しか〜し直感的に死語の世界があるのはおかしいなと思っていて、「車椅子の物理学者」として知られる英国の物理学者スティーブン・ホーキング博士の、天国とは闇を恐れる人のおとぎ話にすぎないとしてから、死後の世界があるとの考えを否定したインタビューで「(人間の)脳について、部品が壊れた際に機能を止めるコンピューターと見なしている」「壊れたコンピューターにとって天国も死後の世界もない」と述べていたことに賛同していたのです。
夏目漱石の件(くだり)でさら〜にその意を強くしたのです。

やはり人間は死後の世界を賛美するのではなく、現世を一生懸命生きるべきだと思います。
生きている間には色々と辛いことや苦しいことがありますが、生きているからこそ味わえるのです。やまない雨がないように辛いことや苦しい事の後には必ず陽が射します。
生前恨み辛(つら)みを持っていた人達に対して“我が命たとえ絶えたとしても、悪霊となり七代に亘ってこの恨みはらさずにおくべきか”というのはどうやらできそうにありません。
もしこれらの人達に恨みを晴らすのであれば現世しかありません。
来世はすり替え、もしくはある種のmoratorium (モラトリアム)でしょう。
ここを強調しておきたいのです。

〈おれが東京へ着いて下宿へも行かず、革鞄を提げたまま、清や帰ったよと飛び込んだら、あら坊っちゃん、よくまあ、早く帰って来て下さったと涙をぽたぽたと落した。
おれも余り嬉しかったから、もう田舎へは行かない、東京で清とうちを持つんだといった。
「中略」
玄関付きの家でなくっても至極満足の様子であったが気の毒な事に今年の二月肺炎に罹って死んでしまった。死ぬ前日おれを呼んで坊っちやん後生だから清か死んだら、坊っちゃんの御寺へ埋めて下さい。御墓のなかで坊っちやんの来るのを楽しみに待っておりますといった。だから清の墓は小日向の養源寺にある。〉
「孫が読む漱石」夏目房之介著より転載

で〜もこのような件(くだり)には自然と目頭が熱くなります。
人の死のせつなさはよくよく理解していますので、私の事を誤解しないでください・・・


Laughing but he forgot to wash his hands:D


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暑い!まだ夏です。
今日は四谷荒木町に出没です。
荒木町といえばここでしょう。
今日のお店は「キッチン たか」さんです。

住所: 東京都新宿区荒木町3-1
電話:03-3356-2646
定休日:日・祝日 年末年始 お盆休み

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お店の外観です。

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メニューです。

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本日のオーダー「マスタードソースのチキンソテー」@900円です。
待つこと13分で「マスタードソースのチキンソテー」の到着です。
見た目、濃いなこのソテー、です。

それでは実食です。
粒マスタードの味と香りが峻烈ですがギリです。所謂見切り寸止めです。
これはすごいですね、これでこのお店のchefの力量がわかります。
この素晴らしいマスタードソースのおかげでチキンソテーの美味しさ特に甘さが引き立ちます。
すごく美味しいです、ウマウマです。
この味が@900円で味わるのは本当にBravoです。
また来ようって!

それでは(^_-)