今日は「忠臣蔵私見」の話です。
夏休み3日目です。色々とやることがあるので多忙です。
今日は予(かね)てから行きたかった高輪にある泉岳寺に四十七士の墓参に次男と参りました。

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まずは泉岳寺の外観です。

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血染めの石、血染めの梅です。
300年前に飛び散ったものですので、さすがに今では血痕の跡ははあとかたもありません。
安心して見ることができます。

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首洗い井戸です。
ちょっと生々しいですかね。

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四十七士の墓です。

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大石良雄、通称「内蔵助」さんの墓です。

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ご存じ喧嘩安兵衛こと高田馬場の決闘で江戸中にその名をはせた堀部安兵衛さんの墓です。
埋葬されて300年以上経っているのに墓碑銘がきれいなので泉岳寺のお坊さんに確認したら一度もrenewalしてないそうです、墓石が特殊なのでしょうか、すごく気になりました。

そうそう墓参の後境内内にあるトイレを借りようとしたら、男性トイレの表記が分かりにくかったのでまごまごしていました。
すると近くの長椅子に座っていた露西亜系の外国の方に、違うよ、そこじゃないよ、右に曲がったところだよ、とたどたどしい日本語で教えてもらいました。
この時期に泉岳寺に来られる外国人って、一体何の目的で来られているのでしょうか、そしてこの外国人が泉岳寺のトイレを熟知しているのは何故なのでしょうか、謎が深まります。

忠臣蔵の発端は江戸城の松の廊下で、浅野内匠頭が吉良上野介に対して刃傷に及んだことに始まります。上野介は軽症でしたが、殿中での刃傷ということで浅野内匠頭は切腹を命じられました。
喧嘩両成敗のご時勢なのに、上野介にはお咎めはなしとなりました。そこで、それに異を唱える赤穂浪士が主君の仇ということで、ここ吉良邸に討ち入ったのです。それが12月14日、正確には15日の未明、午前3時ごろだそうですよ
上野介の首を落としたのは午前6時ごろだそうです。もちろん死亡したのは上野介だけではありません。屋敷にいた吉良家の家臣16人が死亡、負傷者は23人でした。赤穂浪士側は数名の負傷です。その後、赤穂浪士は回向院へ向かいますが。回向院側はかかわりたくなかったのか、門を開けなかったそうです。

個人的にはこの話は冷静な歴史的判断がなされていないと思います。
そもそも浅野内匠頭は癲癇(てんかん)気質で、今でいうキレやすい人だったそうです。
一方江戸城で浅野内匠頭に切りつかれた吉良上野介は、当時高家肝煎の筆頭だったのですよ。今でいえば内閣官房長官的statusの高級官僚に対して、地方小都市の知事が国会内で傷害罪、殺人未遂罪を犯したようなものです。
切りつけた理由は、定かではありませんが、京都より朝廷から派遣された勅使と、上皇から派遣された院使に将軍が対面する大切な儀式が行われるので、その準備に際して、吉良上野介は儀式そのものに不慣れな浅野内匠頭に対して何かと注意をしていました。
それが浅野内匠頭のstressとなりそのstressが溜まり溜まって、3月14日の儀式の日に暴発したというように私は考えています。
吉良上野介が浅野内匠頭に注意するのは当り前ではないでしょうか。
吉良上野介は万が一浅野内匠頭の粗相のために、この儀式が不調法に終われば、責任はすべて吉良上野介、彼自身が負わらなければならないのですよ。
この逆ネジ的怨恨は浅野内匠頭の浅慮と言わざるえません。
さらにいえばこのケースは喧嘩両成敗にあたらないと思います。
元禄の時代といえども、責任人者の業務上の叱責、指導が喧嘩に相当すわけがなく、そのように判断した方はほとんどいなかったのではないかと思います。

そして討ち入りは、単なるテロです。
許されないのは、漆黒の闇の中での乱闘となった為に無抵抗な屋敷内の使用人も被害に遭い落命したり、負傷したりしています。
これこそ当時の武士の精神規範である”武士道”に反しているのではないでしょうか。
さらに言えば、朝方炭小屋にいた吉良上野介を偶然にも発見でき、その首級を落とすことができたから、幕府もそれなりに遇したのでしょう。
もしこの僥倖がなければ、明け方このテロに気がついた隣家の通報で、幕府による四十七士への大捕り物が行われたのではないかと思いを巡らしています。
何れにしても、運があったのが赤穂浪士で運が無かったのは吉良家の面々だったと断じてよいのではないでしょうか?

赤穂浪士
ところで吉良亭から泉岳寺までの行程がわかりました。
四十七士は回向院前から竪川の一ツ目橋を渡り、隅田川に沿って、小名木川の万年橋から上の橋、中の橋、下の橋を通って、永代橋を渡り、霊岸島から稲荷橋、そして浅野家の旧屋敷の築地鉄砲洲を通り、汐留橋に出、日比谷から金杉橋、将監橋という道順で無事泉岳寺にたどり着いています。
距離にして約10km、時間は3時間と泉岳寺境内にある赤穂義士記念館のビデオが紹介していました。
四十七士たちは浅野内匠頭の墓がある泉岳寺をめざしますが、両国橋を渡ると武家屋敷が多いので武家に見つかってしまっては幕府に通報されるので、このような裏道を選んだそうですよ。

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これは三井グループの懇親が行われる三井倶楽部です。
この隣にあるイタリア大使舘で大石主税良金ら十浪士の切腹が行われました。
内庭の池泉は往時そのままと伝えられています。
場所は綱坂の途中にあります、たまさかイタリア大使舘は改装中で外観が分からなかったため三井倶楽部をパチリしました。

赤穂義士記念館内に吉良上野介の首の受取状がありました。
吉良左兵衛内(上野介の養子の奥方のこと)の受取確認書の中には、泉岳寺の僧侶が届けて、家老左右田孫兵衛と斎藤宮内がこれを受領した旨の記載がありました。
この返還ですが、道義上正しい行為かと思います。
しかし厳寒の冬とはいえ、吉良上野介の首の匂いが厳しかったかったのではないかと邪推します。
幕末の志士、清川八郎が麻布四の橋で幕府の暗殺者佐佐木只三郎のだまし打ちで暗殺された時に、その友人が幕府の役人に強談判してその首だけを取り戻して清川八郎の自宅に届けています。しかしその首が発する悪臭で近隣から苦情が殺到し、その匂いを消すのに清川家およびその友人がものすごい苦労をしたという実話があったからです。
ちなみにこの返還された首は、吉良上野介胴体とつなぎ合わせられて、ねんごろに埋葬されたといいます。その首と胴体をつなぎ合わせたのが、当時の蘭学医である栗崎道有という医者でした。
歴史には意外性がありますね・・・


今日は冒頭の通り次男と一緒に行動していたので勢いランチはガッツリしたものとなりました。
今日のランチはロメスパ「バルボア」虎ノ門店さんです。

住所: 東京都港区虎ノ門1-16-2 岩尾ビル1F
電話:03-5510-6821
休日:土曜・日曜・祝日

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お店の外観です。

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店内の雰囲気です。

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メニューです。

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私のオーダー「塩バジリコ(350g)」@550円です。
トッピングは刻んだトマトです。豚の薄切り、玉ねぎ、小松菜と太麺を一緒に炒めてあります。
味ですか、意外とあっさりしていて食べやすかったですね。
しいていえば室町店よりパスタに対する加熱が弱かったので、パスタそのものがパリッとしていなく、焦げ目も今一つでした。ロメスパって火力の扱い方の巧拙で美味しさが決まるのですね。
でも美味しかったですよ。

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次男のオーダー「しょうゆアサリ(350g)」@550円です。
これは次男が絶賛していました。シンプルでありながらアサリの美味しさが充満していたとのことです。個人的にも塩バジリコよりはしょうゆアサリの方が数段上ですね。
これは美味しいです。

それでは(^_-)