今日は「真珠湾攻撃の謎」の話です。
真珠湾攻撃については、「もし、あのときこのような手を打ったら・・・」という仮定の話もしばしば語られてきた。歴史に「イフ」をもちこんでも意味がないことといわれながら、しかしこのような仮定は、歴史を見つめる目を養ううえで充分に役だつからである。いってみれば、歴史の練習問題ということになろうか。いくつかの、これまでも語られてきた「イフ」を並べてみることにしよう。 
そのひとつは、真珠湾攻撃の際、南雲忠一の指揮する機動部隊が、なぜ第二撃の攻撃を行わなかったか、という点である。これはすでにこの作戦が行われる前にも、南雲司令部の参謀である源田実などから提議されていた。源田は、戦後になって著した回顧録(『真珠湾作戦回顧録』)の序文で、「私の合点できない一つの例は第二撃の問題である」とさえ書いているから、よほどの無念であったのだろう。第二撃を行うことで、オアフ島港のアメリカ海軍の基地をもっと徹底的に叩けたというのである。この意見は、実は、戦後になってアメリカ側からも指摘されているのだが、具体的には「四百五十万バレルの貯油タンク群を爆破していれば、アメリカ海軍はハワイを基地として使用するのは不可能だった」と分析されている。 
もうひとつは、やはりアメリカ側からの戦後になっての指摘である。「日本軍はあれだけの攻撃をかけたのだから、なぜハワイヘの上陸作戦を強行して、その占領を図らなかったのか。そうすれば、アメリカ海軍としてはアメリカ本土の西海岸を基地とする以外になく、日本軍の作戦は有利に展開しただろう」というのであった。   
「日本史七つの謎」保坂正康著より転載

「えっ」という感じですね。
そう言われてみれば日本軍がハワイを陥落していればアメリカは対日戦略の橋頭堡を無くしたわけですよね、なんでそのような中途半端なことをしたのでしょう。
それは「日本はアメリカとの戦争がどのような形になったら、勝利と考えていたのか」という点が欠落していたからのようです。
さらに本著よりの抜粋です。
つまり戦争をどのような状況で収拾するのかということなのである。もっともわかりやすいのは、日本軍がアメリカ本土に上陸してワシントンに攻めいり、この国の中枢を押さえて降伏文書に調印させるということだ。そうなればワシントンであろうが、ロサンゼルスだろうが、シカゴだろうが、どこでも戦勝記念パレードを行えばいい。だがそんなことはたとえ夢想主義者とて考えることはできないだろう。しかしハワイヘの上陸作戦という発想は、基本的には、この考えの延長といっていい。いくら真珠湾への一撃が表面上はうまくいったからといって、こんな夢を見ること自体、「戦争」についての基本的考えはできていないということである。 
驚くべきことに、日本は戦いを始めながら、その戦争の終結をほとんど考えていなかったのだ。  
【中略】
真珠湾攻撃を始めてはみたが、その辿りつく終着点は日本がつくるのではなく、すべて相手側、あるいは相手側の国民のなかにあるという論理を押し進める限り、この戦いこそ永久戦争、無限戦争といってもよい。実際に日本では、この戦いこそ「百年戦争」であると呼号する軍人もいたのである。 
ハワイ上陸作戦はこの腹案に則って考えれば、むしろ実行したほうが筋道はとおる。(たとえ軍事的に不可能であっても)実行することによって、アメリカ国民の厭戦気分が引きだされる可能性がある。むろん私は、この可能性はまったくないだろうと思っているが、真珠湾を攻撃するだけでは、戦争終末への道はなんら開けることはないのは確かなのだ。 
逆説的な言い方になるが、そして歴史を後世の目で見ているとの批判を承知でいうのだが、たとえハワイというアメリカの一部に輸送船が近づくことが不可能であっても、日本はなんらかの形で上陸作戦を試みたほうがはるかに「戦争終末促進二関スル腹案」には沿っていたというのが、私の結論になってしまうのだ。この結論がおかしいとすれば、日本は何の成算もなく戦争を始めてしまったということになってしまう。


要は太平洋戦争といのうは天才的戦略家山本五十六が構想した大胆な戦術で行われたものの日本軍中枢は明確な戦争に対するgrand designが無いがために広げた風呂敷がたためなくなってしまったというのが実態の様です。
さらに日本の戦時指導者は「負けたと思った時は負け」という変な論理を国民にimprintさせていました。これは換言すれば「決して負けない」という事になるわけです。
例えば甲と乙が殴り合っていて、殴られ続けた甲はどれだけ傷めつけられようと「負けた」といわなければ負けないのだというヤクザ屋さんの喧嘩と一緒です。
ヤクザ屋さんの場合は、仮に青色吐息状態にボコボコにされても「今日は体調が悪かったから許してやるよ」と言って別れ、次回やられた相手に対して多勢に無勢で襲うか獲物(刀とか拳銃)を持って必勝を期して再戦するのですが、相手だって同じ論理構造ですから次の再戦を待たずに襲いかかるわけですよね。要は無間戦争のgongが鳴っただけですのでこの辺りは東映映画の「仁義なき戦い」に通じます。

ちょっと冗長になりましたが「決して負けない」というふるまいの究極は「負けた」といわないのですから最終的には死を受け入れなければならないのです。
この延長線が特攻隊であり戦争末期によくとられた玉砕戦術です。
でもこの思想は太平洋戦争時代の話ではなく現代の日本人にも連綿と受け継がれているのですよ。例えばworld cupのsoccerの応援の時に私達は「頑張れ」とか「負けるな」と言って応援しますが、近隣の韓国、中国人達は「勝て」としかいいません。
要は日本人の謙譲の美徳は突き進みますと優柔不断という底無し沼の状態へ陥る危険性を孕んでいるのです。


なぜこの女子アナさんがここまでハマったか補足します。
女子アナさんは冒頭に「そろそろ秋(ドイツ語:Herbst)めいてきましたね」って言った後にポップアップされた同僚男性アナの苗字が同じく秋(ドイツ語:Herbst)だったのですね。
それでこの偶然の一致にこの女子アナさん、地雷を踏みぬいてしまったようです。
このあっけらかんとした笑いにはたまらず「いいね!」です。
ちなみにこの女子アナは番組から下ろされたようです(笑)



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今日は日本橋に出没です。
ランチのお店を探していたらいかにも私の好きそうな昭和の香り漂うレストランが目に入ってきました。今日のお店は「レストラン桂」さんです。

住所: 東京都中央区日本橋室町1-13-7
電話:03-3241-4922
休日:日曜日・祝日

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お店の外観です。

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店内の雰囲気です。

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メニューです。

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今日のオーダー「鰆のフライ・若とり肉醤油焼、ボタージュスープ付」@850円です。
店内は昭和レトロの雰囲気そのもののレストランです。
当然のことながらホールスタッフの女性も全て昭和レトロです。
お約束の「写真撮ってもよいですか」と聞けば、「ヤーダお兄さん、それだったらもっときれいにご飯盛ったのに」ですと・・・

見た目美皿ですが乙女盛です。
味ですか、鰆のフライは揚げている油が良いのか腕が良いのか(失礼後者です)とてもカラっと揚がっていてこれはなかなかの味ですね。
若とり肉醤油焼は少し火が入り過ぎて醤油の香りがきつくて私的には「ごめんなさい」ですが、味はよかったです。
右顧左眄(うこさべん)していたらこのお店は「オムライス」か「フライ物」が美味しいようです。また日本橋にきたら立ち寄ってみましょうheart02

それでは(^_-)