今日は「江戸時代のお医者様」の話です。 
今の世の中、お医者様になるのはたいへんです。大学の医学部を卒業し、国家試験に受かり、さらに研修医というのをやらなくてはなりません。お金もかかりますね。

そこへ行くと江戸時代は、お医者様になるのは簡単でした。
「おいら今日から、お医者様でい」
と宣言すればよかったのですから。資格試験とか免許 などといったものはありませんでした。医者になりたければ、誰でもなれたのでした。

振り売りの薬屋が、聞きかじりの知識を頼りにして医者になる。患者が来るか来ないかは別にして、医者業を行うのは勝手でした。ですから藪医者やとんでもない医者がいたのは事実です。

江戸には医者というと、次の三種類がありました。
幕府の御殿医、諸藩の藩医、民間の町医者です。初めの二つになるのは、これはもうたいへんです。ですが三番目は、誰にでもなれたわけですね。

とはいっても命に関わることですから、「おいら医者でい」と叫んでみたところで、患者がやってくるわけではありません。やはり実績が必要だったわけです。

ただ実績のある、ちゃんとしたお医者様に診察をしてもらうということになると、たいへんお金がかかりました。現代のような、健康保険制度というものはありませんでしたから。

安政年間(1854〜59)ごろで、もちろんピンキリはありますが、診察料は金一分(一両の四分の一)から二分でした。とんでもない値段です。往診となると初回が一分一朱、それ以降は毎回一分でした。一朱は十六分の一両です。さらに往診には、駕籠代が加わりました。

薬代も馬鹿になりません。三日分で一分も取られたという話は、珍しくありません。往診してもらって、薬をもらったら一両だなんて、とんでもない話です。
「おれは死ぬ前に、一度だけお医者に診てもらえれば本望だ」
などと本気で言う老人の方がありました。

そうなると裏長屋住まいの庶民は、鍼灸治療やもみ治療、売薬に頼る他はありませんでした。灸は二十四文、あんまは全身をもんでもらって四十八文でした。
鍼は技術が必要ですが、灸はつぼさえ知っていれば、誰でもできました。ですから艾(もぐさ)を売る店はたくさんありました。もっとも手ごろな治療法でした。

売薬もさまざまな種類がありました。行商人もたくさんやって来ました。風邪薬や膏薬は、十六文ほどでした。効くかどうかは別問題です。
たいていの場合は、こうした売薬で済ませました。
千野隆司さんの「時代小説の向こう側」より転載

なるほど江戸時代は藪医者が多かったようですね。
藪医者の語源については、諺「藪をつついて蛇を出す」(余計なことをしてかえって事態を悪化させてしまう)からとする説が一般的のようですが、たんに野暮医者が藪医者に転訛したとも言われています。
医者といえば注射ですか、子供の時は本当にいやでしたね、いまでも好きではありませんが。
多分実際の痛み以上に、針が刺さるのを視覚的に痛いと感じてしまっていたのでしょうが、それと昔は針の大きさが太かったせいなのかもしれません。


「ことばの力」です。感動してください


今日は浜町に出没です。
今日のお店は上海蟹の有名店「燕慶苑」さんにお邪魔しました。

住所: 東京都中央区日本橋浜町2-24-2
電話:03-3666-3873
定休日:土曜日、第三日曜日 

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お店の外観です。

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店内の雰囲気です。

店名についている“燕”は幸せを運ぶ鳥として中国では縁起の良いものとされており、さらに“慶”は中国でおめでたいこととしてお祝いするという意味ですので、要はこの店名はHappy Chinese Restaurantというところでしょうか。
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今日のオーダー「マーボソバ」@600です。店内にいたオバチャンに、初めてきたので麺類はなにがお奨めですか、と聞いたところ、うちの料理は皆美味いよ、と軽く切り返されました。熟考した結果「マーボソバ」なった次第です。
待つこと10分で着丼です。なにか昭和のラーメンといった風情です。でも麻婆豆腐の主調味料であるピリッと辛い豆板醤と甘みの甜麺醤はもちろん投入されており、仕上げの花椒(ホワジャオ)もさりげなくかかっておりイケますネ・・・美味しいじゃないですか。
少しお腹がくちくなって店内にはってあるメニューに目をやるとここの料理の全てが安かったのです、もしかしたら浜町の穴場中華ではないでしょうか!

それでは(^_-)