今日は「瞳みのる(元ザ・タイガース、ドラマー)異聞」の話です。 
ピー
週刊文春「阿川佐和子のこの人に会いたい」を読んでいたら、瞳みのるさんが対談相手として出でいました。この人私に少なからず影響を与えたのです。
瞳みのるさんはザ・タイガース引退後定時制高校に復学してその一年後に慶應義塾大学文学部に易々と入学しました。よって私は慶應義塾大学、特に慶應義塾大学の文学部って簡単に入れるものだと勘違いしたのです。これが後の私の大学受験におおいなる錯誤をもたらせました。
しかし慶應義塾大学にはそんな簡単に入れるわけもなく、瞳さんはかなりの努力家で頑張り屋だったことに気がついた時にはtoo lateで、この曲解した認識は私の受験生活をおおいに影響を与えたのでした。

ということでザ・タイガース引退後の瞳みのるさんの芸能界引退、教師へ、そして現在を振り返ってみました。
内容はWikipedia「瞳豊(みのる)」からの転載です。

1971年1月24日の解散公演終了後に有楽町の高速高架下にあったちゃんこ鍋屋にて内田裕也主催の食事会(送別会)が開かれた後は直ぐさま、店の前に待たせてあった、京都時代の友人達と家財道具一式を積んだ2tトラックで東名高速道路~名神高速道路とひた走り翌25日には京都の実家へ到着した。
同年4月より中退した京都府立山城高等学校の定時制へ復学し、翌1972年春に慶應義塾大学文学部中国文学科へ入学、卒業後は修士課程へ進み教員免許を取得。1977年より慶應義塾高等学校で教鞭を執る傍ら博士課程において中国語の研究を続ける。

その後、中国への留学制度が正式にスタートしたことを受け、1981年に34歳で北京大学へ2年間留学。帰国後は再び横浜市にある慶應義塾高等学校にて教師を続け漢文・中国語関連の参考書、テキストブックの著者および監修者として、高校中国語教育に力を注いだ(なお慶應義塾高校は中国語を履修する生徒数が日本の高校では最多)。また慶應義塾女子高等学校や駿台予備校でも漢文の非常勤講師として教鞭を執った。

なお、慶應高校の教壇に人見が立つようになって以来、教え子の保護者に子弟を人見のクラスへの編入を懇願する者、芸能活動時代のことについて質問する者が決して少なくなかったそうだが、当初着任した三田校舎で女生徒に騒がれた経緯もあり、日吉校舎への転属を願い出るなど人見はあくまで一教師としてのスタンスを保持、特に芸能活動時代のことについては、どんなに懇願されても永らくの間一切沈黙していた。
解散後はザ・タイガースの元メンバー達との一切の交流を断ち切り、1981年 - 1983年のザ・タイガース再結成時にも参加しなかったほか、マスコミからの度重なる取材依頼に対しても徹底して拒否の姿勢を貫いていた。

特に初の再結成となった1981年1月の「さよなら日劇ウエスタンカーニバル」においては、元メンバーや関係者からの人づての連絡に対しても頑ななまでに応じない姿勢に痺れを切らせた内田裕也が、日吉の慶應義塾高等学校校舎まで押しかけ面会を迫るも断固拒絶され、挙句の果てに警官が出動する事態にまで発展することとなった。

これらのいきさつもあり、翌1982年から本格的にスタートしたコンサートツアーや、レコード発売、TV出演など一連の活動では人見に配慮し、「来たい人だけ来ればいい」という意味合いから一貫して「ザ・タイガース同窓会」の語を用い、自分たちは「再結成」とは決して称しなかった。

2008年、沢田研二がNHK総合テレビ「SONGS」に出演し、人見に奉げた歌「Long Good-bye」を歌唱した。これをきっかけにザ・タイガースの元マネージャー中井国二さんの尽力もあり2008年12月、沢田や岸部一徳、森本太郎、加橋かつみと、相次いで約38年ぶりの再会を果たした。2010年頃から、複数の元メンバーがザ・タイガースの2011年再結成を仄(ほの)めかし始め、ついに40年ぶりの人見豊の参加が実現する運びになってきた。

ザ・タイガースは瞳みのるさんが中学校の水泳部の同級生岸部一徳さん、そこに森本太郎さん、加橋かつみさんが加わり「サリーとプレイボーイズ」が端緒でした。
その後沢田研二さんの加入で「ザ・ファニーズ」と改名して活動していました。
その頃瞳みのるさんはリーダーとして、当時関西のアマチュアバンドの登竜門といわれた大阪のジャズ喫茶ナンバ一番のオーディションを受けさせてもらえるよう熱心に売り込みをかけたりしていました。
ナンバ一番に来ていた内田裕也さんに声を掛けられ上京を勧められたものの、その後内田さんから一向に音沙汰がなかった際には、グループを代表し、宣伝材料を携え単身東京代々木上原の内田宅を訪れ、話を進めてもらえるよう交渉するなど、ザ・タイガースのプロデビューはひとえに人見さんの努力の賜物といっても過言では無かったそうです。
ちなみにナンバ一番はグループサウンズの通過点でした。1960年代にミナミのジャズ喫茶「ナンバ一番」で腕を磨いたザ・タイガースやオックスがその後のGSブームを作りました。当時ナンバ一番では、和田アキ子さんがオックスの前座をしていたそうですよ。

ところで内田裕也さんが、日吉の慶應義塾高等学校校舎まで押しかけ面会を迫りにきた際にはそのことが瞳さんの耳には入ってなく後から聞き及んだそうです。したがって断固拒絶の件(くだり)は事実と違うようですネ。

しかし彼は人気ありました、全くリードボーカルを取らないドラマーであるにもかかわらず、グループNo.2の人気を博すのは異例のケースでした。人当たりの良いキャラクターがよかったと思います。しかし彼も65歳ですか・・・GSも死語になっていくのでしょうね。





今日は静岡に出没です。
この街は食べるところが少なくいつもランチには苦労させられます。
そんな中勘で入ったお店がこちら洋食屋「スパーゴ ディベルティーレ」さんです。

住所: 静岡県静岡市葵区紺屋7-5 SUGIZENビル 2F
電話:054-253-4030
定休日:月曜日

IMG_9119
お店の外観です。
「スパーゴ」とは「スパゲッティー」の語源だそうです。
意味はイタリア語で紐です。
ディベルティーレとは、イタリア語で「愉しませる」の意味。
調べてわかったのですが、静岡でハンバーグといえばこのお店というくらい有名だそうです。

IMG_9120
店内の雰囲気です。

IMG_9118
メニューです。

IMG_9122

IMG_9130

IMG_9124
今日のオーダー「Cランチ デミグラスソースハンバーグ・たらこのパスタ」@998円です。
このお店入るやいなや「エ〜ッス(いらっしゃいませの意味)」との大発声が響きわたります。思わず鮨屋さんに来たのかと勘違いしました。
今日はたしか入店5番目の客だったのですが15分〜20分待たされて着皿です。
まずは食前酒の梅酒が供されます、これは美味しいですね。
夜でしたら完璧に誘い水となっていたでしょう・・・
見た目美皿です。プレートの右にはデミグラスソースハンバーグが左にはたらこのパスタが配されており、サラダはキャベツ、カボチャ、ハス、キュウリ、トマトです。
味ですかハンバーグは最近流行りの肉汁がコボレでる風ではなくいわゆる洋食屋さんのハンバーグです。デミグラスソースの酸味が強すぎますね、肉はそれなりに美味しいんのですが。たらこのパスタは一口食べたら濃厚な磯の香りが鼻腔に突き刺さります。
これは美味しいですね、しかしこんもりと投入されたタラコが後半飽きてきたもののこれは美味でした。
ということで静岡の行列洋食屋さんは、接客も丁寧でそれなりに満足させていただきました

それでは(^_-)