今日は「Jさん」の話です。
私のマラソンクラブのJさんが亡くなりました。
Jさんはフルマラソン完走累計528回、日本第九位の記録を持たれている方です。
私がJさんのことを知ったのは2002年4月大阪に転勤した時です。
マラソンクラブの南さんから、大阪にはJさんがいるからマラソンしたかったら訪ねたらいいよ、と言われJさんの名前、住所、電話番号を書いた紙を頂きました。
南さんの説明では、Jさんはフルマラソン1,000回完走を目指して毎週マラソン大会に参加している人だよ、とのことで世の中には突き抜けた人がいるもんだなとあらためて刮目し、その名前を頭の中で反芻していました。
結局Jさんのご自宅は大阪は南港で私の住んでいた大阪の寓居からはかなりあるのと、人見知りのところもあいまって会わずじまいでした。
その後私は東京に戻り、Jさんも東京に戻りマラソンの競技会でその謦咳(けいがい)に接することができました。
会ってみたらすごく温厚で頭の回転も良く何よりも後輩面倒の良いかたで真に尊敬できるかたでした。
そのJさんは二年前に癌が発見され以来闘病生活にはいりました。
最後にお会いしたのは昨年12月の光が丘駅伝でした。
打ち上げの挨拶で、癌との戦いを、まるであたかも悪友との付き合いの様な感じで話されていたので復帰はそんなに遠くないなと思っていました。
4月20日南さんのメールでJさんの逝去を知りました。
そしてその早過ぎる死に驚きを禁じ得ませんでした。
以下がJさんがマラソンクラブの掲示板に書き込んだlast messageです。
2月に入り節分では例年と違い、祈るような気持ちで「福は内、鬼は外」と豆まきをいたしました。
私は1月11日から土日を除いて19日間連続の2月4日まで片道1時間を通院し、放射線治療を受けました。当初30日間の予定でしたが、1回の放射量を増やし日数を減らすこととなりました。
放射線治療は抗がん剤治療に比べ倦怠感をあまり感じなかったので、1月の始めには東京の同窓会で明治神宮へ、関西のそれは京都の三十三間堂にも行き冬の景色を満喫しました。
病院からは放射線治療により体に相当なダメージを負っているので、しばらく静養するように云われたので、
1〜2カ月後の検査結果に期待をしつつ、自宅にて過ごしています。
【中略】
また元気になって走りたいという気持ちが回復を早めるかもしれないと治療に取り組んでおります。引き続き頑張りますので、応援よろしくお願いします。
Jさんさぞかし無念でしたでしょう。
しかし少し冷静になった今思います、1,000回のフルマラソン完走は達成できなくても528回完走という金字塔を立てられ、さらにJさんの口癖「大きな夢を持ち続け、それの実現のために努力しよう」という言葉を引継ぐ多くの後輩を育てられたという偉業を残されました。
私は人間は死んだら生ごみだと思ってますので生きている間に何をなすべきか、何をしたのかががその人間のレーゾンデートルだと思っています。
Jさんが癌をcomingoutしてからとある競技会で、クラブの先輩から、癌だから万が一のことを考えて身辺は整理しておいた方がいいよ、といわれ無言で深く頷いていた場面がJさんに対する大きな心象風景となっています。
肉体はいつの日か朽ちますが、その精神の高潔さは朽ちません。
そしてその思い出はいつまでも私達の心に残ります。
忘れませんJさんのこと、安らかにお休みください、ありがとうございました。合掌。
私のマラソンクラブのJさんが亡くなりました。
Jさんはフルマラソン完走累計528回、日本第九位の記録を持たれている方です。
私がJさんのことを知ったのは2002年4月大阪に転勤した時です。
マラソンクラブの南さんから、大阪にはJさんがいるからマラソンしたかったら訪ねたらいいよ、と言われJさんの名前、住所、電話番号を書いた紙を頂きました。
南さんの説明では、Jさんはフルマラソン1,000回完走を目指して毎週マラソン大会に参加している人だよ、とのことで世の中には突き抜けた人がいるもんだなとあらためて刮目し、その名前を頭の中で反芻していました。
結局Jさんのご自宅は大阪は南港で私の住んでいた大阪の寓居からはかなりあるのと、人見知りのところもあいまって会わずじまいでした。
その後私は東京に戻り、Jさんも東京に戻りマラソンの競技会でその謦咳(けいがい)に接することができました。
会ってみたらすごく温厚で頭の回転も良く何よりも後輩面倒の良いかたで真に尊敬できるかたでした。
そのJさんは二年前に癌が発見され以来闘病生活にはいりました。
最後にお会いしたのは昨年12月の光が丘駅伝でした。
打ち上げの挨拶で、癌との戦いを、まるであたかも悪友との付き合いの様な感じで話されていたので復帰はそんなに遠くないなと思っていました。
4月20日南さんのメールでJさんの逝去を知りました。
そしてその早過ぎる死に驚きを禁じ得ませんでした。
以下がJさんがマラソンクラブの掲示板に書き込んだlast messageです。
2月に入り節分では例年と違い、祈るような気持ちで「福は内、鬼は外」と豆まきをいたしました。
私は1月11日から土日を除いて19日間連続の2月4日まで片道1時間を通院し、放射線治療を受けました。当初30日間の予定でしたが、1回の放射量を増やし日数を減らすこととなりました。
放射線治療は抗がん剤治療に比べ倦怠感をあまり感じなかったので、1月の始めには東京の同窓会で明治神宮へ、関西のそれは京都の三十三間堂にも行き冬の景色を満喫しました。
病院からは放射線治療により体に相当なダメージを負っているので、しばらく静養するように云われたので、
1〜2カ月後の検査結果に期待をしつつ、自宅にて過ごしています。
【中略】
また元気になって走りたいという気持ちが回復を早めるかもしれないと治療に取り組んでおります。引き続き頑張りますので、応援よろしくお願いします。
Jさんさぞかし無念でしたでしょう。
しかし少し冷静になった今思います、1,000回のフルマラソン完走は達成できなくても528回完走という金字塔を立てられ、さらにJさんの口癖「大きな夢を持ち続け、それの実現のために努力しよう」という言葉を引継ぐ多くの後輩を育てられたという偉業を残されました。
私は人間は死んだら生ごみだと思ってますので生きている間に何をなすべきか、何をしたのかががその人間のレーゾンデートルだと思っています。
Jさんが癌をcomingoutしてからとある競技会で、クラブの先輩から、癌だから万が一のことを考えて身辺は整理しておいた方がいいよ、といわれ無言で深く頷いていた場面がJさんに対する大きな心象風景となっています。
肉体はいつの日か朽ちますが、その精神の高潔さは朽ちません。
そしてその思い出はいつまでも私達の心に残ります。
忘れませんJさんのこと、安らかにお休みください、ありがとうございました。合掌。
totota