今日は「仇討考」の話です。 
井原西鶴は貞享四年(一六八七)に『武道伝来記』を出版しましたが、このなかには当人同士がなんの遺恨もないのに、世間の思惑が許さず、やむなく仇討ちをする話があります。また、討手の妻が手引のために敵の妻となり、子までなして、義理と人情の板挟みになって苦しむ、という話などを書いています。 
言葉ではいい表わせない苦労をしても、ついに敵と出会うこともできず、むなしく死を迎えることもありました。やっと探しあてたと思っても、すでに敵はこの世の人ではない。そんなときの無念さは、いかばかりだったでしょうか。仇討ちにはさまざまな矛盾があり、そこから悲劇も生じます。武士の面目を立てるための仇討ちですが、その成功率はTパーセント以下だったといわれています。
「時代小説」新潮文庫より転載

幕府は喧嘩両成敗を原則としながらも。許可された仇打ちだけを認めていました。
つまり幕府が仇打ちを管理し、許可のない勝手な仇打ちは喧嘩とみなされ成敗されたのです。
仇打ちの期限は3年間です。しかし3年間と期限を切っておきながら、実質的には無期限だったそうです。
当初、仇打ちは奨励され、仇打ちに出た留守の間、妻子暮らしは保証されました。
仇打ちを果たして帰ってくると、加増などの褒美をもらうことができたのです。
ところが元禄〜享保年間(1866〜1735)のあたりから様子が変わりました。
私事のため公務を離れることが 問題視されるようになったのです。
その結果俸禄(給与)がなくなり、残された家族が路頭にまようということも生じました。
しかしnet社会の今日でも仇打ちを探すことは困難なのに、どのようにして探しだしたのでしょうか。
大海の一栗(いちぞく)を探すようなものですから、その辛苦は幾ばくかと想像するに難くないものです。しかし逃げる方も逃げる方でかなりのstressですので、あえて追手を迎え撃って黒白をつけたのかもしれません、それがない限りめぐり合うこともないのではと思います。

エッシャーのだまし絵「滝」を実写化した映像が大変話題になりました。
その映像をさがしたのでご覧ください。
一体どこに仕掛けがあるのでしょうか?


今日のお店は水天宮のデカ盛中華料理店「来々軒」さんです。

住所: 京都中央区日本橋蛎殻町1-38-1
電話:03-3668-5009
定休日:日曜日

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お店の外観です。

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今日のオーダー「牛肉ニラいため+半ライス」@750+@150=900円です。
画像では大した量にはみえないかもしれませんが、想定内のデカ盛です。
牛肉の多いこと多いこと食べても食べてもなくなりません。
味ですか、牛肉とニラは相性が良いことが確認できます、の通りとても美味しいです。
味つけが濃いので、半ライスでは物足りなかったでした。
ガツンと食べたい時にお奨めの町の中華料理店さんです。

それでは(^_-)