今日は「貧乏」の話です。
一億総中流と言われ続けて何年たつのでしょうか、「貧乏」という言葉が死語になりつつあります。タレントの島田洋七さんがオバアサンの思い出を綴った「佐賀のがばいばあちゃん」を何気に読みましたが、なかなかの名作ですね。内容は大半が貧乏譚ですがどんな時も楽しく生きるがばい(すごい)生き方に元気をもらいました。
楽しい貧乏話しの一文を以下に紹介します、その雰囲気を味わってみてください。

三田製麺所21
このばあちゃんは、夫に先立たれ、貧乏のどん底暮らしのなか、学校の便所掃除の仕事をしながら、7人の子どもを立派に育てたばあちゃんです。
そういう意味で洋七さんは由緒正しい貧乏家系で八代も続いてきたそうです。

このばあちゃん、貧乏ですが、底抜けに明るく、前向きです。そして極めて頭のよろしい方ですね。
たとえば、小学2年生の洋七さんがお腹がすいて

「さあ、うちもそろそろご飯かな」
と思っていると、ばあちゃんは、言います。

「さあ、寝よう」
「えっ、でも、ばあちゃん、ご飯は?」
「晩ごはんはな、毎日食べるものと違う」
とキッパリと言い切るのです。

「だって、お腹がへったよ」
「気のせい、気のせい、さあ、早く寝よう」

朝になると、ばあちゃんは仕事に行く支度をしています。
「ばあちゃん、朝ごはんは?おれ、ご飯たくから」
「朝ごはん?昨日、食べたろ」
「・・・? うん・・・」
「さあ、はよう学校いけ。お昼には、給食、給食。給食食べてがんばれ」

そして、ばあちゃんは、さっさと便所掃除の仕事にでかけていくのです。
もちろん米櫃には、一粒の米もありません。

しかし、「お腹はすいてたけれど、家の中は明るく、笑いが絶えなくて、
 不幸だなんて考えたことは一度もなかった」と洋七さんは言っています。

私も子供の頃は貧乏でしたが、あまり実感したことはありません。父、母ともども働いていたので、両親の帰宅が遅い時は、近所の食堂に幼い弟、妹を連れていき大盛を一人前頼んでは三人で分けあっていましたね。それと台風が来た次の日は大量の軟球が裏の川に流れてくるので魚網で拾い洗剤で良く洗い、それを乾かし近所のスポーツ店に売りに行っていました。
赤釜
鉄屑拾いもよくしました、銅物(あかもの)は換金率が違うので、湯沸し器や給湯器など落ちていたら小躍りしたものです、今の子供達には考えられないでしょうね(笑)

今日はいつもの通り休日出勤です。奥様が池袋に用事があるとかで一緒に行き、昼食も一緒にとりました。私のお勧め店は日曜休なので、当たり外れがないつけ麺店「三田製麺所 池袋店ラーメン
」さんの暖簾をくぐりました。

住所: 東京都豊島区西池袋1-40-1
:03-5911-3839
定休日:無休

三田製麺所22
お店の外観です。

三田製麺所23
店内の雰囲気です。ここのスタッフはとても感じがいいですね、結構でした。

三田製麺所24

三田製麺所25
今日のオーダー私が「つけ麺(300g温盛り)」@700で、奥様が「つけ麺(200g温盛り)」@700です。ここは製麺所なので麺が美味しいですね。具は、太メンマ数本に、角切りのチャーシューが1切れ程で、海苔は一枚です、後はネギですか。
スープは濃厚魚介系を思わせる粘度の高いスープです、甘、辛、酸はバランス取れていて満足です。しいていえば麺の美味しさのみ際立ってスープにあまりimpactがありませんでしたねビックリマーク
でも美味しかったですよ、ご馳走様でした 

それでは(^_-)