今日は「金子みすゞ」の話です。
金子みすゞ、本名は金子テル。
山口県大津郡仙崎村(現・長門市仙崎)出身。
大正末期から昭和初期にかけて、26歳の若さでこの世を去る間に512編もの詩を綴ったとされる。大正12年(1923年)9月に『童話』『婦人倶楽部』『婦人画報』『金の星』の四誌に一斉に詩が掲載され西条八十から「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛された。
1926年、義父の経営する書店の番頭・宮本啓喜と結婚し、娘をもうける。
しかし夫は中央誌への詩の投稿を禁じたばかりでなく女遊びに明け暮れ、更にはみすゞに梅毒を感染させるなどした事から1930年2月に離婚。
同年3月10日、服毒自殺。
原因は娘の親権を強硬に要求する夫への抵抗心からだと思われる
翁庵21

「星とたんぽぽ」

青いお空の底ふかく、
海の小石のそのように、
夜がくるまで沈んでる、
畫のお星は目にみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。

散ってすがれたたんぽぽの、
瓦のすきに、だァまって、
春のくるまでかくれてる、
つよいその根は眼に見えぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ
「金子みすゞwikipedia」より転載

彼女は心ない結婚をしました。
詩作が好きで、西条八十の雑誌の投稿をしていて、才能を期待されていた詩人だったのに
遊び人で理解のない夫に、詩作を禁止され、おまけに、悪い病気まで移されました。
離婚するつもりだったが、彼女には5歳の女の子がいました。別れるのなら、子供は父親に渡さねばいけない。
彼女は最後の夜、子供に自分の詩を読んで聞かせたといいます。
そして、遺書にどうか、娘を自分の母親のもとで、育ててもらいたいと。書き残して・・・
あの夫の下で、娘が育てられるのは、耐えがたい。祖母の手で育てて欲しいと、命をかけて、決行したのといわれています。
彼女の詩は、はるかに時代を越えています。さらに深く自己と宇宙に沈潜して、その彼方にある広大な世界を予感させられます。今日、彼女の詩が美しい星のように輝いてみえるのは、この神秘的なたましいの光のせいかもしれません。

人形町は明治座御用達「翁庵」さんの暖簾をくぐりました。

住所: 東京都中央区日本橋人形町2-26-9
:03-3666-7656
定休日:土曜日、日曜日、祝日

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お店の外観です。最近夜営業をしなくなりました、何故なんだろうか。
今度行った時聞かなければ。

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店内の雰囲気です。

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メニューです。

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今日のオーダーは「ねぎせいろ(大盛)」@800です。もともとこの「ネギせいろ」は天カスだけでしたが、店主がサービスで肉厚のイカに変えたのですが、値段は上げなかったという見上げた一品なのです。この蕎麦不思議です。イカ天は熱々、蕎麦はよく冷水洗いしてシャッキと、でもつけ汁は熱々、そして山葵で食べる、これってオカシクないですか。これだけの味ですから、やはり釜揚げうどんで食べるかもしくはミニ天丼+蒸篭(せいろ)で食べるのが一番美味しい食べ方だと思うのですが・・・
でも美味しかったですよ、ご馳走様でした 

それでは(^_-)