今日は「横浜親不孝通り」の話です。
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京浜急行線「日ノ出町駅」から「黄金町駅」を結ぶガード下の路地は俗に「黄金町」と呼ばれ、かつては「ちょんの間」という小さな特殊飲食店が軒を連ねる風俗エリアだった。良くも悪くもハマのある側面を象徴してきた存在でもある。一昨年、近隣住民の浄化活動と神奈川県警の一斉摘発によって売春が一掃されたが、それに伴い人の往来が減り、無人となった店舗がそのままになっているのが実情だ。一口に「黄金町」といっても、正確には日ノ出町、初音町、黄金町という3つの町からなるエリアである。この地域は戦前から大岡川の船運を活用した問屋街として栄えたが、終戦後はまずガード下にバラック小屋の住居が集まり、次第に飲食店に変わっていった。そんな店の中から女性が客を取る店、いわゆる「ちょんの間」が現れ、いつしか関東でも屈指の「青線地帯」として知られるようになる。現在、この街に放置されたままの特殊飲食店の店舗は、終戦直後のバラック小屋に端を発している。そのため、地権者などの権利関係が複雑で調査に時間がかかってしまうのである。ちなみに「青線」とは、昭和31年に施行された「売春禁止法」で売春が公認された地域が「赤線」と呼ばれたのに対し、非公認で売春が行われていた地域を指したものだ。警察が地図上で赤い線と青い線で書き分けたのがその由来だと言われている。
「ヨコハマ経済新聞」より転載

新入社員の時初担当の一社に横浜黄金町にある老舗の硝子問屋がありました。とても真面目に通っていたのでその問屋の社長に気に入られていました。いつもは日中行くのでこの街の異常さに全く気がつきませんでした。
ある時打合せが夕方になりいつものコースを通ってその問屋さんに行くのですが、すると街の角々に妙齢の女性が立っており、お疲れ様、ご苦労様です、と声がけしてくれます。最初は何と挨拶のしっかりとした街なのだろうと思いましたが、街の角々で夕方のみ女性が挨拶するわけもなく、やはりこれはイカガワシイことをする女性なんだろう、と思いをめぐらせていました。

打ち合わせが終わり七時過ぎになったものですから、先方の社長が、××君(私のこと)近くに美味しい煮込み屋台があるからそこで軽く飲もうか、と誘っていただきました。断る理由など全くないものですから、即座に快諾してそのお勧めの煮込み屋台さんについていきました。4〜5分歩くとその店の前に着きます。
着くやいなや私は目の前に広がるこの不思議な光景にキョトンとして社長に質問しました、社長、「煮込み屋さん」といわれましたが、ここってただの戸締りした酒屋さんじゃないですか、社長は、そうだよ、酒屋だよ。少し待ちな、意味が分かるから、とのたまいます。しばらくするとシャッターが開き中から、鼻腔をくすぐるよい匂いのする屋台が現われお店の外に設置されました。
屋台の支度が整うと社長は、ここの煮込みはハマイチだよ、といいながら、中の酒屋に入りカップ酒を買ってきて、煮込み串を数本頼み私に口にするようにすすめました。

確かに社長が横浜で一番美味しいというだけあって、この煮込み串はトロトロ、ホクホク、ジューシーです。それに七色唐辛子をタップリかけ、それを冷酒とともに食べますとこの上のない至福が訪れます。

しばらく歓談していると、件(くだん)のお姉さんと思(おぼ)しき一人がお店に立ち寄りました。屋台のオジサンとの話を聞いていますとそのお姉さんは地元のお方で、どうやら立ちんぼのお姉さんではないようです。10分位すると今度は開口一番、今日はお茶ッピキだわ、しけた客しかいないネ、と煙草を燻(くゆ)らせながら、蓮っ葉な女性が屋台に首を差し入れてきました。おじさん煮込みちょうだい、といいながら酒屋に入り、カップ酒を求め戻ってきました。

すると先にいたお姉さんが、その女性に気がつき、あなたまだ客とってるの、もう家庭があるんだから、そんなことしちゃだめじゃない、と即に叱り飛ばしました。エツ、姉さんいたの、見なかったことにしといてよ、とおたおたしながら哀願しています。さらに叱り飛ばしたお姉さんは、もう戦争が終わって何年たつと思うの、苦労して家庭もったんだから、昔に戻っちゃ駄目じゃないの、といっています。叱られたお姉さんは、内の宿六、博打ばっかやって、まったく家にお金いれてくれないもんだから、仕方ないのよ。私だってこんな汚れた仕事したくないわよ、と言い訳をします。
そんな会話を酒のツマミにしながら、そのあとも社長と取り留めない話をして別れました。

しかしこの話はとても恐ろしいのです。何故ですって、この女性の会話をまとめますと、二人はともに戦争未亡人です。そして私がこの社長と飲んでいたのは昭和60年前後です。仮にこの二人が昭和元年生まれで戦争が終わった昭和20年に二十歳で結婚してその年にご主人が戦争で亡くなったとしても、御年60歳です。そんなわけもなく二人とも由(ゆう)に60歳を超えていたのです、そういう意味で恐ろしい話なのです。さらに取引先の社長の話を付け加えますと、この町は戦後、麻薬取引のメッカとして暗黒化し、それに戦争未亡人が糊口を凌ぐために春を鬻(ひさ)ぐ仕事に大挙流入して、このような一大売春窟に伸張したとのことです。“This is an old story!” でした。

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海外版です、「売春婦に注意」ですって、一体どういうふうに注意したらいいのしょう(笑)

今日は疲労が溜まりすぎて朝起きられず、雨模様の一日だったこともあり会社にいかず、ゆっくりと心と身体の洗濯をしました。家でくつろぐかと思えば性格なのかセカセカと雑用を片付けていました。外出のさなかなぜかコーヒーが飲みたくなり、さらに甘いものもあればいいかなと思い大泉学園の有名洋菓子店の一つである「ナカタヤ」さんを訪れました。

住所: 東京都練馬区大泉学園町7-19-11
電話:03-3924-8102
定休日:無休

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お店の外観です。このお店は自由が丘「モンサンクレール」の有名パティシェである辻口博啓さんが、若いとき修行したお店です。
彼の母親も、大泉のお店のご主人がいい人でね、「厨房(ちゅうぼう)の材料でも道具でも、なにを使ってもいいから、修業してりっぱな菓子職人になれ」、と言ってくれたらしいです、とこのお店に対して感謝をしております。

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店内の雰囲気です。何故かお客はご高齢の方ばかりです、最初養老院のティールームかと勘違いしました。

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今日のオーダー「ケーキ(モンブラン)セット」@700です。このお店安いですね、まずモンブランが@350です、さらにコーヒーが@400でさらにサービスコーヒー@400もつくので@1,150のものが@700でいただけるわけですからお徳感アリアリです。
味はすごく丁寧な仕上げで、甘さもクドクなくとても美味しくいただきました。中の栗も美味しい味わいです。隠し味のラム酒も絶妙な風味を醸しだしています。とても結構でした。店員さんの接客もよく繁盛店なのは納得です。
ご馳走様でした

それでは(^_-)