今日は「龍馬は本当に剣豪だったのか?」です。
そもそもこの話の端緒は龍馬の「免許皆伝」が以下の“薙刀”だったことから来ています。
龍馬の修行期間は安政3年(1856年)8月から約1年間という期限が決められていたが、途中でさらに1年間の延長が認められた。
そして安政5年(1858年)1月、24歳のときに、千葉定吉から『北辰一刀流長刀法目録』が与えられた。これは現存する唯一の龍馬の北辰一刀流目録で、免許皆伝の証と伝えられてきたが、現在では薙刀の初伝であることが判明している。
ちなみにこの伝書は「千葉重太郎一胤」の名前に続いて、「千葉佐那女、千葉里幾女、千葉幾久女」と定吉の3人の娘の名が署名されており、龍馬と佐那が婚約した記念に定吉が授けたものであるとも伝えられている。
「ryomadna.net」より転載


ということで龍馬は北辰一刀流の免許皆伝は“薙刀”で剣術の“免許皆伝”が与えられてないことから、龍馬たいしたこない剣豪だったということになっているのです。

しかしその当時の龍馬評は以下の通りです。
信太歌之助の評
勝海舟の手紙に坂本は剣術はなかなかつかえる、組打ちも上手だと書いてありました
谷守部の評
両人[龍馬・中岡慎太郎]共に武辺の場数者、特に坂本は剣術の秀逸なれば、顔を見合して話をしつつヲメヲメ斬らるる恥鈍漢にあらず
大石鍬次郎の評
かねがね[近藤]勇話には坂本龍馬打取り候者は見廻組今井信郎、高橋某等少数にて、剛勇の龍馬を打留め候儀は感賞致すべし
住谷寅之介の評
龍馬誠実可也の人物、しかして撃剣家
吉田健蔵の評
撃剣家坂本氏
香川敬三の評
剣客、航海学の志あり
千葉佐那の評
父は坂本さんを塾頭に任じ、翌五年一月には北辰一刀流目録を与えました。

決して悪いものではありませんネ。さらに北辰一刀流宗家第五世 小西重治郎氏の著書によりますと龍馬の伝位は「中目録免許」であったらしいのです。ということからするとそこそこの腕前だったということができると思います。さらに定吉先生が自分の娘を嫁にやるということは、北辰一刀流のレベルとしてはかなりの実力といってもよいのではないでしょうか。よって龍馬は超一流ではないものの当時ではTop-levelの剣豪であったといえると思います。
しかし龍馬君、あなたは今でいう“重婚”ですよ。佐奈さんはズーッとあなたの帰りを待ち続けていたのです。そちらの方が問題では…


今日のお店は“がつがつ、焼き鳥”の「鳥の助」さんです。
住所: 東京都中央区勝どき2-8-12東京ビュックB!
電話:03-3532-6890
定休日:年始年末

鳥の助1
お店の外観です。

鳥の助2
店内の雰囲気です。すこし薄暗い?雰囲気のある店内ですね。

鳥の助3

鳥の助4
このお店はじめてですので、私のお約束のお店のお姉さんへの確認です。早速お店のお姉さんに“何がお勧めですか”と聞きました。お姉さんは、焼き鶏丼が評判良いですよ、とのことでしたので今日のオーダーは「焼き鶏丼」@900です。値段が少し高い様な気がします。この「焼き鳥丼」は、正肉、つくね、レバーの三点盛りです。正肉はジューシーで美味しいですね、期待が持てます。つくねは…“マルハ”のミートボールの様でパサパサしています。噛むとあまりの弾力感で口が弾みます。これはイケませんね。レバーは、これは臭いですね、鮮度が悪いのでは。噛むとパサパサしています、これはイタダケマセン。しかし正肉はそこそこのレベルなのにこのギャップに驚かされます。実力店なのでしょうか、それともこのコメントの通り大したことないお店なのでしょうか、迷うところです。今度夜の部いってみましょう。

それでは(^_-)