今日は「下町っ子とえいば勝海舟」の話です
勝海舟といえばやはり江戸城の無血開城でしょう。
しかしその裏側では平和裡に城を明け渡す談判をすすめながら、事が破れたときの用意に、およそ奇想天外な作戦計画を練っていた。「海舟座談」(岩波文庫)に愉快なことが書かれている。
「吉原では金兵衛、新門の辰。この辺で権二。赤坂の薬缶の八、今加藤。清水の次郎長、行徳の辺りまで手を廻した。松葉屋惣吉。草刈正五郎と八尾松の主人などはそれぞれ五百人も率いている。公事師の正兵衛。講武所の芸者。吉原の太った芸者〆…」と江戸の鳶職、やくざ、芸者、香具師など総動員である。海舟は語る。
「あの親分子分の間柄をご覧ナ。何でアンナに服しているんだい。サムレエの世界にはない。精神の感激というもんじゃないか。そう思っているがね」
海舟は町をほっつき歩いて、この人々の心を結びつけている「精神の感激」をよおく弁(わきま)えている。そこで新門辰五郎たちの府下の博徒の親分三十余人、江戸いろは組の火消しはもとより、日本橋の魚市場、神田の青物市場の勇み肌の兄ィたち、血の気の多い連中のすべてに話をつけた。
「それからの海舟」半道一利著より転載

西郷吉之助との会談が不成功になり、西軍が江戸市中に進撃してきた時は、彼らを使って江戸八百八町に火を放ち、西軍を焚殺(ふんさつ)するという恐ろしい計画を練っていたのです。それにしてもスゴイ人間交友ですね、それもほとんどが下町人です。これらの背景があったから大西郷と差しで淡々と交渉できたのです。
ここから先は下町人しか分からないのですが、海舟は少年時代島田虎之助に師事し剣術を習いました。そして毎日稽古が終わると、牛嶋神社まで行き夜稽古をし、それから又道場に戻り朝稽古をしていたという、一体いつ寝ていたんだ、という荒稽古をしていたそうです。
これを今の地図でいいますと、自宅は両国四丁目ですのでそこから道場がある浅草の隣の合羽橋まで行き、そこから夜稽古をする為に向島一丁目にある牛島神社まで行き、払暁に合羽橋の道場に戻るという行程です。これって結構凄いですよ。昔の人は本当に体力があったのですね

三田製麺所1
このパチリは勝海舟の通用門(長屋門)です。このBlogを書いていたらこの通用門(長屋門)が石神井台の三宝寺にあるというので、車でワザワザ撮りにいったのです。勝海舟って清貧のイメージが強かったのですが、結構豪邸ですね。
※長屋門は近世諸大名の武家屋敷門として発生した形式で、江戸時代に多く建てられた。諸大名は、自分の屋敷の周囲に、家臣などのための長屋を建て住まわせていたが、その一部に門を開いて、一棟とした物が長屋門の始まりである。その後、長屋門は上級武士の住宅の表門の形式として広く利用されるようになっていった。武家屋敷の長屋門では、門の両側部分に門番の部屋や仲間部屋が置かれ、家臣や使用人の居所に利用された。侍屋敷の長屋門は武家屋敷のものより小規模であるが、基本的な構成はほぼ同じである。
Wikipedia「長屋門」より転載



つけ麺はあまり好きではないのですが、またまた食べてしまいました。
今日のお店は「三田製麺所 神田店」さんです。

住所: 東京都千代田区内神田3-12-10 神田NSビル 1F
電話:03-5297-3883
定休日:無休

三田製麺所2
お店の外観です。

三田製麺所3
メニューです、ここは太っ腹ですね、200、300、400gすべて値段が@700です

三田製麺所4
店内の雰囲気です。

三田製麺所5

三田製麺所6

三田製麺所7
今日のオーダーは「つけめん」@700です。具は、メンマ数本、角切りチャーシュー、海苔1枚です。メンマはバルキーな感じで食感がいいですね。チャーシューは柔らかくイケますが、量が…あまりにも少ないじゃないですか
スープは魚介、豚骨のWスープでドロドロしています。味ですか、甘辛酸のバランスもよく美味しいですね。麺は腰のあるツルツル麺ですし、かなりレベル高いと思いますが。
何で三田製麺所という麺製造みたいな名前なのでしょうか?

それでは(^_-)