今日は虚飾の街大泉学園の話です
長寿庵1
大泉は明治24年の三村合併時に、井頭池の泉から採られた名前です。もとは小さい泉が多いところでしたので小泉とかいて小泉(おいずみ)と呼ばれていました。その後転じて大泉となったそうです。
何故大泉には升目模様の街路があるのかということなのですが、升目模様の高級住宅地には戦前には高級将校の住居があり升目に整地されていました。そこは戦時中ほとんど空襲がなく無傷でした。戦後その町並みに高級住宅街が置き換わって出現したというのが私の推理なのです。
そもそも大泉(練馬)は江戸時代において江戸市民の根菜(ダイコン・ニンジン・ハス等)の供給拠点でした。大八車に根菜を積みはるばる大泉(練馬)から神田の市場まで毎日運んでいたのです。その名残が「練馬大根」です。軍隊の副食物の「沢庵」として安定した需要にささえられてきたのですが、終戦により軍隊がなくなりさらに食文化の変化で「沢庵」=「練馬大根」は衰退していったのです。
大泉(練馬)の人びとは浄土宗の信者が多く、信仰に篤く勤勉な人多くというのが江戸時代の風評でした。
さて大泉学園の「学園」は、大学等の高等教育機関(大泉学園都市計画では東京高等師範学校(現筑波大学)若しくは東京第一師範学校(現東京学芸大学)を誘致し学園都市として開発する計画がありましたがこれが頓挫した残滓(ざんし)です。結果「学園」の名前だけが残ったのです。誘致が成功すれば「成城学園」や「玉川学園」に肩を並べた真の学園都市だったのでしょう。
そして「都民農園セコニック」ですが、大泉学園にはこの名前のバス停があります。
しかしここには「都民農園」はありません。戦前の学園都市計画に即して作られた農園ができましたが、戦後住宅地に転じ、今はチッポケな児童公園が残っているのみです。
後半のセコニックは東証第二部の光学情報機器のメーカーの名前です。スーパー「いなげや」に自社敷地を売りその二階に近代的な本社を移転させたのです。ここで下車した人はこのギャップに驚くこと間違いないでしょう(笑)
「虚飾の街」の意味がお分かりいただきましたでしょうか。
それと大泉学園には加藤という苗字がとても多いのです。私は加藤総本家の方が偶然にもお取引先なのでお話を聞きますと、大分家だけでも五家あり、そこにぶら下がる加藤の総数は想像を絶するとのことでした。
もう一ついいますと大泉学園には「小泉牧場」という牧場があります…23区内なのに(笑)近隣には牧場が一つ、さらに駝鳥(だちょう)牧場もあります…一体全体何という街でしょう。

今日はメタボ対策で勝どき「長寿庵」です。
長寿庵2
お店の外観です。

住所: 東京都中央区勝どき1丁目9−5
電話:03-3531-0091
定休日:日曜・祝日

長寿庵3
本日の獲物「大盛蕎麦」@700です。

長寿庵4
ウズラの卵がDefaultでつきます。そしてウズラの卵専用ハサミです…あら珍しい。

長寿庵5
味ですか、蕎麦の味はわからないとはいいながら最近良く蕎麦を食べているので少しは味がわかるようになりました。ここの蕎麦の打ち方あまり良くないですね、少しもサモサしています。水洗いも冷水でないのですこし蕎麦がヌルイですね。蕎麦の香りもあまりしません。つけ汁はマズマズのでしたが、これ以外特筆するところはあまりありませんでした。
それと大盛で@700は高いのでは、それに大盛の割には盛が少ないような気がします。

最後に明治の文豪夏目漱石先生も蕎麦好きで、登場人物に良く蕎麦を食べさせています。
以下は「我輩は猫である」の文中で美学者の迷亭に「笊(ざる)蕎麦」の食べ方を紹介していましたので、引用して終わります。
【QOT】
(迷亭は)「打ち立ては有難いな。蕎麦の延びたのと、人間の間が抜けたのは由来頼母(たのも)しくないもんだよ」と薬味をツユの中へ入れて無茶苦茶に掻き廻はす。「君はそんなに山葵(わさび)を入れると辛いぜ」と主人(苦沙弥先生)は心配さうに注意した。「蕎麦はツユと山葵(わさび)で食ふもんだあね。君は蕎麦が嫌いなんだろう」(中略)「蕎麦を食うにも色々流儀がありますがね。初心の物に限って、無闇にツユを着けて、そうして口の中でくちやくちや遣つていますね。あれぢや蕎麦の味はないですよ」(中略)「此の長い奴へツユを三分の一つけて、一口に飲んで仕舞ふんだね。噛んぢやいけない。かんぢや蕎麦の味がなくなる。つるつると咽喉を滑り込む所がねうちだよ」
【UNQOT】

それでは(^_-)