いよいよ大晦です。
昨日会社から駅までの帰る途中やっと今年も終わったというほっこりとした達成感を懐に入れ、冷たい風に押されながら歩いていると、年の頃なら75歳くらいのお婆さんに誰何されました。
何ですかと立ち止まると、今日長歩きしたら足が浮腫み歩行も儘なら無い、これから床を作らなければならないのだが一人暮らしなので助けて欲しいという事でした。
その姿を良く良く見れば服装はパリッとしているし言語も明瞭ですので、義(ギ)を見てせざるは勇無きなりということで受けることにしました。
ましてこの寒空のなか打ち捨てる訳にもいけなかった事とお年よりは大事にしなければという下町気質も相俟ってその老婆の自宅まで同道しました。

実はこの老婆少しおかしいのでした^^;
そもそも真冬の凍てつく夜中にそのような依頼をすることからしておかしいのですがその時は全く気がつきませんでした。

家に入ると確かに老朽の木造家屋に独り住まいの様でした。
多分両親だと思われる遺影があり、ご主人の遺影が無かったので独身老婆なのかなと思いを廻らせていました。
この時点では早く布団を引いて帰ろうと思っていたのですが、私の思惑は無残にも破壊されたのです。
まずやらされたことは、仏壇の掃除、そしてお茶碗、急須、食器の洗い物、しかも冷水です(ガス湯沸し器がない)。
エツ布団はいつ引くの・・・と思っていると、次の指令はトイレの常備品の点検です。
そしてやっと布団を引く作業に入ったのですが、その指示が五月蝿い五月蝿い布団は畳の縁に水平、皺があるとやり直しです。そしてうっかり布団に足をかけたら、皺ができたのでさらにやり直しです。
要はこの老婆、昔流にいうと線が細かい(神経質)方なのです。
最後はゴミ捨てという家の掃除フルコースを終了しました。
最後に謝辞を述べられた後お駄賃という件になったのですが当然の事ながら固辞し、這う這うの体で退散しました。
でも本音をいえばそんなに嫌ではなかったです確かに迷惑は迷惑でしたが、基本的に老人はそんなに嫌いではありません(皆いつの日かなるわけですしね)。
布団の引き方の件は亡き母親の小言と全く同じで少し懐かしさすら感じていました。
帰宅してその事を妻に報告すると、痴呆老人のトラブルが多発している昨今そのようなことはヘルパーさんでもキチンとした依頼がないとしないそうです。
そのような場合は警察に依頼するものですと褒められるかと思いきや以外にも叱責されたのでした。
大晦の前日だというのに、その無聊を慰めてくれる人もないわけで、それはそれでいいのではとは言わず胸にしまい込んだのでした。
しかし変な話ですね

今日は妻と穴八幡に「一陽来復」のお守りの買換えに行きました。
亡き母は、小さい頃癇の強い私のために良く都電に乗って佐竹町(現大江戸線新御徒町)から早稲田の当神社までお参りにきたそうです。
一体どのように都電を乗り継いで行ったのでしょうか?
今となってはその経路は全く不明です(笑)


穴八幡入口の山門です。真ん中に写っている方は赤の他人の参拝者です。

母曰くその御利益で癇は快癒したそうです。
ここの蟲封じは歴史が古く、はるか昔三代将軍家光の頃から始まり大正天皇等皇族にも利用されていたと布袋さんの脇の案内板に書かれていました。

この布袋様御利益があるため皆に撫ぜられ体がテカテカです。でも一番すごいのはおツムリなのですね。皆この赤い被りもの剥いでナデナデするのです。

すごーく冗長になりましたが、大晦日の獲物はてんやの天丼です。
ここ確か日清製粉さんと丸紅さんと創業者で始めた会社ではなかったでしょうか。
一時営業に行こうかなと思って調べたらあまり業績が良くなく見送りましたが、今やロイヤルグループとなりジャスダックに上場されたのですね。
てんや社長我家はその上場に大分貢献しましたよ。
味ですか、 天三みたいなスペシャルな味ではないですが好きな味ですね。
天ツユの甘辛さ下町っ子には溜まりません。

私は今日は天丼です。

エビ君痩せすぎですネ!

鱚が美味しかったナ。

良いお年をお迎えください(^_-)