先日竜馬の身長が180cmではなく169cmというニュースをみました。
そうなんだというか私より背が大きくて格好良いとうのがリスペクトの最大要因だっだんのですがチョットがっかりしました。

そいうことで今日は竜馬暗殺です。
犯人は新撰組、紀州藩、見廻り組、後藤象二郎、討幕派犯人説等がありもう犯人は誰でもOK状態です。

以下が事故記録です。

時:慶応3年11月15日午後9時頃
所:京都河原町蛸薬師下ル西側・醤油商近江屋新助宅二階
被害者:坂本竜馬(海援隊隊長)33歳ほとんど即死。全額部(致命傷)、左肩先から左背骨、さらに全額部に傷喉に2箇所の突き傷(トドメ)があったという資料もある。)
中岡慎太郎(陸援隊隊長)30歳
2日後死亡。後頭部、肩、胴、背、股等12箇所に傷
(頭を3度ほど突き刺されていたという資料もある。)
藤吉(下僕) 死亡。背等に6箇所の傷
現場における刺客の遺留品
,蹐色の刀の鞘
∪菘幼の瓢亭という料理屋の下駄の片方
目撃者の証言:
藤吉「犯人は十津川郷某と名乗り、名刺を出した。」
中岡慎太郎「刺客が斬り込んだ時、『こなくそっ』といった。」
「刺客はトドメを刺さず、『もうよい、もうよい』といった。」
「入ってきた刺客は、2人だった。」

しかし中岡慎太郎のこの重篤な状態では、彼の証言をどこまで信じてよいのやら?
私が一番不思議なのは、たしかこの蛸薬師の家は裏手にあるお寺に逃げ込めるよう脱出用の梯子があったはず(記憶違いであればごめんなさいm(__)m)?
私はこの事実が真であるという前提で、この近江屋(現JTB)裏手に十数回も行きましたが確かにこれは逃げやすいとその度にもうなずいたものでした。
さらに近江屋から長州藩邸、薩摩藩邸などは歩いても十分もかからない距離にあり、明治のエポックメーカー竜馬ががそのセキュリティーの恩恵に属さない理由も不明です。
司馬先生のいうような天地自由のバガボンドという絵図も妥当でないような気がいたします

なぜ犯人は退路を断たなかったのでしょうか。
犯人達は目的を達成したので良しとしておきますが、この現場で前と後ろで挟み射ちをしなかったのが竜馬暗殺の最大の不思議です。

さて今日の獲物は魚がし「田なか」の先着6名限定の刺身定食です。


ちなみに魚は、鮪、カンパチ、帆立、海老、蛸、烏賊の盛合わせで何と800円です。
これは本当に安くて美味しいです!
でも本当に数量もう少し増やして欲しいです、今日結構早めにお店に入ったのにラストの6番目でした(ラッキー)

それでは(^_-)