今日は夏目漱石「三四郎」です。

三四郎の粗筋は以下の通りです。
物語は熊本から東大に入るために上京する汽車の中から始まる。その中で変な女に誘惑されそうになるが全くうぶで度胸の無い三四郎は全く気づかないふりをする。一夜を過ごす羽目になるが、結局何事も起こらない。女が別れ際に言う。
「貴方は余つ程度胸がない方ですね。」
この別れ際の女の言葉は三四郎に大きな衝撃を与える。
その後、都会の洗練された女性、美禰子に会うわけだが、この女性「ストレーシープ、ストレーシープ(stray sheep 聖書にある迷える子羊のこと)」と不思議なマントラを三四郎に吹き込む。
田舎者の三四郎は恋に陥る。
三四郎は美禰子が、一体朝から晩まで東大の地下室で光の実験をしている野々宮という男性が好きなのか、三四郎が好きなのか解らなくなる。
三四郎はストレーシープというのは、もしかして彼女が迷っているのではなく煙に巻いている三四郎の迷いぶりをからかっているのではないのかと思ったりする。
でもこの美禰子、結局の所野々宮とも三四郎とも結婚せず、別の人と結婚する。結婚すると決めた時、三四郎にこういうのである。
「我はわが咎を知る。わが罪は常にわが前にあり」

これは聖書の「伝道」からの引用ですね。
漱石は「三四郎」を書く前に、ドーデの「サフォー」、ダヌンツィオの「死の商人」を読んでいます。それを読んだことで俄然インスピレーションが湧いてきたそうです。
その証左が「三四郎」のなかに出てくる「ヘリオトロープ」という香水の名前です。
これは「サフォー」のなかでやたら出てくるのです。
こんな香水の名前当時の明治人知るわけ無いですよね(笑)
たしか野々宮さんは、寺田寅彦がモデルだったと思います。

私はこの小説何度読んだか分りません
ここまで拘泥したのはやはり「美禰子」さんでしょう。
魅力的なな女性ですが、男を振り回すだけ振り回して最後に「我はわが咎を知る。わが罪は常にわが前にあり」と自己中な台詞をいって全く別の男と結婚します。
漱石先生はこのような女性が好きだったのでしょうか?

漱石独特のメタファーも好きでした。
特に漱石はかなり落語、歌舞伎からの引用が多いいのですが、これは「坊ちゃん」によく見受けられます。

何故今日「三四郎」かといいますと、昨日死んだ父の夢を見たからです。
子供の時玄関から転んで左手の骨がおれ、その際父は家から近い(当時は台東区竹町に住んでいたのです)せいもあり東大病院で治療を受けさせたそうです。
骨折でもきちんと東大病院で治療させたという父の自慢話を思い出したからです。
それで三四郎池は良く子供の頃つれていってもらったということを亡き母から聞かされていました。
一度滑って三四郎池に落ちたことがあり、長じてお前は東大(高校一年生の一学期迄は、真面目に受けようと思っていた(笑))は鬼門だ、何故なら小さい時落ちたという落語みたいなオチでからかわれたものです。

今日の獲物は実演手打ちうどん「杵屋」です。


しかし一度も実演は見たことがないというか、実演する場所すらないので看板に偽りありです。
味ですか、ノビ蕎麦で美味しくありません。
ランチタイムは混むので、作り置きしてあるので仕方ないのかもしれません。
ここは生山葵を磨って蕎麦の上にかけてたべるのですが、これが全然辛くなくとても不思議なのです。

それでは(^_-)