昨日の続きです。
チャンポンのいわれは次の通りだそうです。
明治32年(1899)に長崎県に中華料理の四海桜を創業した陳平順という人がいました。彼は中国福建省福清県の出身で、そこからまた山奥に入った高山市後安の田舎町の生まれです。家は貧しく、たぶん一旗あげようと長崎へやって来たのではないかといわれています。
彼は同郷の留学生たちの面倒もよくみたようです。留学生たちも裕福ではないから、食事は安くて、うまくて、栄養もボリュームもあるものが好まれました。
そしてそんな食事を求める声が強まり、一つの形としてできたのがチャンポンといわれています。そうなのです生みの親は福建華僑というわけです。
陳平順がある日、店に来た若者に「食事は済んだか?」と声をかけました。
ご飯を食べることを標準中国語で「ツーファン=吃飯」といいます、ところが福建方言では「シャーポン」とか「セーポン」と発音します。
そんな会話のあと、見知らぬ料理が中国人のテーブルに並んびました。
そうか、あの料理が「シャーポン」か、と傍らにいた長崎人が聞き誤り、やがて「チャンポン」となまっていったそうです。
閑話休題。
そういえば京都丸太町に「京都一チャンポンの美味い店=何故か店の看板にそう書いてある」がありました。店の名前はアルツで失念しつました。
ここはすごかったです。思い出しながら書き記します。
ここのチャンポン、まず丼が本格中国風、味は間違いなく京都一番です(二番はどこと突っ込まないで(笑))。
しかし問題があります、それはあっという間に食べ尽くすことができないのです。
何故かといえば、具が多すぎるのです。食べても食べても具が出てきます。まさにいつになったら「麺」にお会いできるの状態です
本場京都チャンポンはまさに底なし沼です。
具についても書いてみましょう海老、豚肉、キャベツ、烏賊、蛸、木耳、厚揚げ…etc枚挙に暇ありません
こんなことを書いていると、生唾が沸いてきて、また行ってみたくなりました。
そうだ京都いこうです。

それでは(^_-)